生涯の友

昔から謡を稽古するとこんなに良いことがありますよ、という言い習わしがあります。謡十徳とか十五徳とか、地域によって少しずつ違うのですが、その中に必ずある語句に
「友無くして閑居慰む」
というのがあります。
「友達がいないときでも一人でも楽しめる」ということだと思いますが、私は謡を稽古した人が誰でもそうなるか、というとそうではない気がしています。

父や母の時代にお稽古をしていた方たちを思い出すと、毎週のようにお稽古に通い、友人同士でも集まって謡い、一人で一曲を謡えるようになっていらした(上手い下手は別として)方がとても多かったように思います。言い替えると、ひとりでも謡を楽しめる方がたくさんいらっしゃいました。その日にくじ引きで役を決めて謡うというような会もあったように記憶しています。

現代のお稽古は、世の中に楽しめることが増えに増え、謡の稽古などもたくさんある趣味の一つという感じです。能を観る楽しみ、お仲間で集まる楽しみ、大好きな先生にお習いする楽しみ、謡を稽古すると楽しいことはたくさんあります。
またおさらい会にでる楽しみもあります。そのときもある程度役謡を謡えたら、地謡は後ろの先生方にお任せすればいいので、一曲を謡えなくてもいいわけです。後ろから先生方の素晴らしい地謡が聞こえてくる中で役を謡い一曲を楽しむ、これは本当に気持ちよく贅沢な楽しみです。
けれども家で一人で、となるとその楽しみ方は難しい。

謡を稽古すると「一人でいても閑居を慰めることができる」というのには、もちろん一人で謡本を読んだり、少し声に出して謡ってみたり、という楽しみ方もあるとは思うのですが、一曲を一人で謡えるようになった人に対して特に言えることかな、という気がするのです。
私は勝手にそう思い、教えさせていただくようになったとき、
「一人で一曲を謡える人を育てる!」
を目標にしました。

稽古会のときはなるだけ皆さんに地謡も稽古していただき、役だけでなく地謡にも参加していただくようにしてきました。
5年前の緑桜会では能を舞う方があったので、その地謡を私が地頭をして、あとの地謡7人は会員で謡うことに挑戦しました。皆さん熱心に囃子謡に挑戦され、会が終わったあとにはとても盛り上がり、「地謡謡い隊」と名付けて、なるべく地謡を謡う機会を作ろうということになりました。

それから5年後の今回の会では、素謡「竹生島」を地謡も全て会員で一曲を謡いました。また私の舞う舞囃子「猩々」の地謡も会員だけで努めてもらいました。どちらも堂々と出来たことをとても嬉しく思いました。
私が決めたお教えするにあたっての目的、その第一歩がやっと始まった気がしました。地頭をつとめる人ができ、それに合わせることができる人ができたということです。
もっともっと地謡が謡える人を育てたいと思います。

元気でお稽古ができるうちは、家に一人でいるときに稽古をすることを楽しみ(これは苦しみも伴うかもしれません)その結果一曲を謡えるようになる。苦しみは楽しみに変わっていきます。
ずっと先でお稽古に通えなくなり、お仲間それぞれがなかなか会えなくなったときも、ひとりで一曲を謡い楽しみながら、共有した舞台や稽古風景をときどき思い起こすことができたら……それが
「友無くして閑居を慰む」
の本当の姿かな、などと思っています。言い替えれば謡が一生の友になってくれる、というか…。
お稽古する皆さんに、謡を「生涯の友」にしていただけたら、とても嬉しいことです。

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