「腹」が先か「腰」が先か

昔から笑い話のように
「鶏が先か卵が先か」
という話が、いろんな例えに使われます。
三月末に膝を痛めてからのゆっくりした時間の流れの中で、自分の書いたブログを読み直し、ふと思いました。
「腹が先か腰が先か」

能の構えや発声には「腹」と「腰」は大切なものの本丸です。
40歳過ぎて能楽師として歩き出した私は、頭ではわかっていてもそこに行き着けず、「腹」と「腰」をなかなか一緒には意識できませんでした。

私には昔から流儀を超えて舞台を拝見したいと思う何人かの能役者がありました。普段は能を拝見するのは現在の立場として、見所(観客席)からというのは少ないのですが、予定が合えばチケットを買ってでも見所で拝見したい、と機会を見つけては追いかけていました。
比べるというとおこがましいのですが、そう思える先生方は当然ですが型も謡も隙がないし素晴らしいのだけれど、舞台から滲み出る明らかな違いがある…。単に個性とは言い切れない雰囲気が違うのです。

あるとき、ふと思いました。
能役者の体が作られていく稽古過程で、重要なのは「腹」と「腰」ということに間違いはないが、どちらが先にできていくかの違いでその表現する体は変わってくるのではないか、と。
もちろん修業は謡も舞も一緒にしていくと思うのですが、それぞれ若い時にどちらに重きを置いて稽古しているか、好きを頑張るか苦手を克服するか、などによってそれぞれ稽古の熱量も変わってくるのではないかと思うのです。

私が自分で稽古をしていてまず気にしていたのは、謡う時は「腹」舞うときは「腰」でした。
どちらも大事というのはわかっているけれど、最初から一緒には意識できなかったのです。
素人の時からどちらかというと舞台では舞うことが多かったし、師匠からのお直しで「腰を入れる」を意識することが多かったように思います。舞っているときに「腹」は感じられていませんでした。
笛を吹いたり謡を研究するようになって、息を体に溜めるために「顎」が出ないようにすると、少しずつ「腹」を感じるようになり、謡っていて「これだ!」と感じた時は意識してなくても「腰」も感じる、どちらも一緒に使えている気がしました。そしてその時は顎も引きつけられている。
名人と言われる方々のお話と照らし合わせても「腹」「腰」「顎」この三点セット、それが決まることが理想の「構え」なのだと思いいたりました。その三点を結んだ三角形が体の軸を作る…。
能役者としてその構えができてこその「舞」であり「謡」である。「腰」「腹」ができて初めて表現に繋がるのでしょう。

前にあげたブログ「喉を開く3」「腹と腰は表裏一体」で、欠伸を噛み殺そうとするとその三点セットをちょっとだけ感じ、和の構えに繋がることを書いています。

私が流儀に関係なく感じる能役者の方々の微妙な違い……もしかしたら若い頃からの修業体系が、ある方は舞う型をしっかり作ることから謡も作られていく「腰」から「腹」への流れ、ある方は謡を突き詰めることから舞の型も作られていく「腹」から「腰」への流れ、にもあるのかもしれない……などと想像してしまいました。

最終的な能に必要な三点セットにたどり着くのは、人それぞれの能への取り組み方で、どちらが先かということではないのかもしれません。その人により違いはあれども、意識してひとつずつ真摯に取り組んでいるうちに、無意識のうちに出来上がっていくものなのかもしれません。

能を志す人が全てたどり着くというわけではありませんが、若い時から修業を重ねて大事なものを掴まえるまでの過程の違いは、役者の個性を生むひとつの要因なのではないかと思い至りました。

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