舞台での「型」と「作法」

三十年程前、私が玄人になって舞台に出始めた頃のことです。私が仕舞に出演するからと初めて能を観に来てくださった方の感想の第一声は
「袴を直す人、格好いいね!」
でした。その後一応褒めてくれたりしましたが、私には最初の言葉が一番印象的でした。お客様に目に映るのは舞っている人だけではないのです。それ以来、自分でも舞台を客席から拝見するときは、役以外の方の動きもよく見るようになり自分の作法もより気をつけるようになりました。

普通の舞台では幕がありますが、能舞台では仕舞や謡のとき切戸口(舞台に向かって右手奥の小さな出入口)から一歩舞台に出たら、すべてがお客様の目に入ります。出入りの姿、立居、そして作法。
仕舞は最初に舞う位置(大鼓と小鼓の間の前)に立ち一足引いて下に居る、そこから始まります。もちろん舞うまでのその作法も自然な中に美しくなくてはいけません。ただ作法を気にするきっかけとなった「袴を直す」という動作は自分ではできません。後ろに座っている地謡の人(複数人舞うときは前後に舞う人)の役割です。シテが立ち上がったときに袴の裾が皺になることがあるので、それを直すのです。前に置いてある扇を脇へずらし、両手を親指を前に拳のようにして付き、膝頭を進めてスッと前に出(膝行)袴を直し、またスッとそのまま下がって元の位置に戻ります。
その動きが「格好良かった」と言われたのです。それはきちんとした「型」で「作法」として行われていたからだと思います。

「舞台の空気を邪魔しない」
これは日常を舞台に持ち込まない、すべての動作を「型」として「作法」としてすることに他なりません。お茶のお点前にしても、武道や相撲などの作法にしても同じだと思います。和の動きの美しさは基本は「型」にあるといっても過言ではないのではないでしょうか。もちろん「型」は表面ではなく腰を中心とした動きが必要です。手先で動けば崩れてしまうのです。

師匠から
「舞台で何か思いがけないことがあっても、その対処を型としてやりなさい。そうすれば空気が変わらない」
と教えていただいたことがあります。
能の間狂言をなさっている時の山本東次郎先生は、舞台での存在感とともに、狂言座(橋掛かりで出番の前に狂言方が座っている場所)にいらっしゃるときの空気感が素晴らしいと尊敬しています。じっと座っていらっしゃるその姿には無駄な力がなく、まるで存在を消していらっしゃるかのようです。私はそのお姿をいつも「型」や「作法」の基本だと思っています。
その先生の薫陶を受けられた山本家の皆さんの切戸の出入をはじめとした作法の美しさにもいつも感じ入ります。

先日仕舞を観に来てくださった方から、切戸口から舞台に上がったときの姿を褒めていただきました。あまり意識していなかったのですが、舞台での動きに気を付けるようになって30年、やっと作法が身についてきたのかなと、仕舞を褒めていただいた以上に嬉しくなりました。
「能エクササイズ」で皆さんに、「立居・動きは腰から」とお教えして自分でも気を付けているのも少しは効果があったのかもしれません。
これからも日本人としての「型」や「作法」を大事にしていきたいと思います。

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