狂言とサザエさん

私が最初に太鼓をお習いした津田美代子先生は福岡の女学校時代、漫画家の長谷川町子さんと同級生でいらしたそうです。
今でもテレビで放送されていて誰でも知っている「サザエさん」はじめ「意地悪ばあさん」「弥次喜多道中」など、長谷川町子さんの漫画は私が物心ついた頃から家にあったのでよく読んでいました。特に「サザエさん」はその当時の時代を反映しつつ、日常にある小さな失敗や勘違いが本当に面白く、大人になっても大好きでした。
能が好きになって狂言を拝見することも多くなり、ある時その楽しさや笑いに「サザエさん」を思い出しました。

狂言の笑いは「爆笑」とか「大笑い」とかとは違います。観ていて「つい頬が緩む」「思わず吹出す」という笑いなのです。日常の勘違いや言葉の取り違えなどから起こるちょっとした失敗、誰にでもあるイタヅラ心や慢心からの失敗など、人間の愚かな部分を、観ている観客が「私もやりそう」とか「あるある」とか思いながら笑ってしまう、言うなら人を傷つけない「ホッとする笑い」でしょうか。
長谷川町子さんの漫画はそこに何か共通点があるような気がします。

能は物語のストーリーを追うというより、「親が子を思う」「恋人を想う」「犯した罪に苦しむ」「神仏を敬う」などなど、いつの時代にも共通した人間の感情にスポットをあて、そのシリアスな部分を舞台で表現していると思います。
息が詰まりそうな感動の後に狂言が演じられます。狂言もやはり時代に左右されない、人間の当たり前の感情を表現するのですが、それは普段の日常生活の中のひとコマを切り取ったもの。観客も引き込む「あるある感」のウイットに飛んだ言葉のやり取りで進んでいきます。「人間って愚かだけどいいもんだな」と笑いながらもホッとして癒やされる、というのが狂言かなと思います。

人間の持つシリアスな部分を能が表現し、その苦しい人間の日常を潤すのに必要な癒やしを狂言が受け持って、能全体が成り立っているのではないでしょうか。

「サザエさん」も普通の家庭の日常での小さな出来事を4コマに表現しているだけです。「あるある感」の「ホッとする笑い」に皆が癒やされているのだと思います。

殺伐としたニュースが多い昨今です。それを見るたびに、もっとたくさんの人に、狂言を観たり「サザエさん」を読んだりして、人を傷つけない「優しい笑い」を味わってほしい、「人間っていいな」と感じてほしい、と思うこの頃です。

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