梅若会素謡会が終わりました。
正式な会での独吟は初めてで、ほんの七八分なのですが、能や舞囃子に比べるとまた別の緊張感がありました。
他の出演者も同じで、楽屋も独特の雰囲気でした。終わった人の緊張感が溶けていく中、最後の方だったのでとても長い会だったように感じました。
素謡会で「笠ノ段」の独吟を謡うことが決まったのは昨年の秋でした。
仕舞も舞ったことはあるし、お弟子さんにお稽古もしているし、大体覚えている大好きな曲です。それでもお客様の前で一人で、「これが笠ノ段です」という「笠ノ段」を謡えるか、というと自信がありませんでした。誰にも頼れない、本当に間や緩急も含め勉強し直さないといけないと思いました。
すぐに正確に覚えることを始めました。まずは囃子謡で謡えるようにして、それから素謡の謡い方に膨らませなければ…。
若い時から何度も何度も謡ってその謡を身に着けていらした先生方とは違って、人生途中から能の道に入った私達は謡いたいときにその謡がさっと出てはこないのです。そこは持てる時間の中でどれだけ、その曲の稽古を繰り返すことができるか、にかかってきます。
とはいえ他の会もたくさんあり、覚えなくてはいけない舞も謡も目白押し。そうそう1つの曲ばかりに焦点は合わせられません。どうするか、それが稽古の要領なのです。
覚えるまではそれに集中します。大体覚えたら頭の引き出しにしまうのです。どういうことかというと、自分に「これは終わってません。また後でやるんですよ」と言い聞かせる。この年齢になると「終わった」と思うとすぐに頭から抜け落ちるからなのですが、不思議なもので「まだやるんだ」という気持ちがあれば、次に時間ができて引き出しから取り出したとき、少しは抜けたとしても0からではないのでやる気が出てくるのです。
「女流能に親しむ会」「定式能」「こころみの会」その他素人会や囃子会などの合間に、ちょっとした時間があると「笠ノ段」の稽古をしていました。
11月一周目が終わってやっと集中して稽古できるようになり毎日謡うのですが、覚えて謡えていても、なかなか思うような「笠ノ段」になりませんでした。最後はもう
「今できることを精一杯」
いつもの
「成り行きを決然と」
の精神です。
どうにか終わって、もちろん「これでよし」とは言えないのですが、終わったときに私の意気はもしかしたら見所に伝わったのかなと感じました。
前にホームランの世界記録保持者の王貞治さんのお話を聞いたことがあります。
「どんなに前の年にホームランを打てていても、翌年の始めにはもしかしたら一本も打てないのではないか、という恐怖にかられる。それを打ち消すのは毎日あれだけ練習をしてきたのだ、という自分を信じる気持ちしかない」
と話されたのを聞きました。あれ程のスターでも、いえ、そうだからこその反復練習だったのでしょう。
毎回舞台が決まると早くから覚え始め、反復稽古の大切さを感じてはいましたが、今回ほど反復稽古の力を感じたことはありませんでした。頭ではなく体で謡っているのを感じられたのです。
前に師匠から
「どんなに小さい舞台でも、観ている方にはその日が能に接するのが初めて、という方もある。なーんだ、と思われないように真摯に勤めなさい」
と言われたことがあります。
舞台歴が浅い分、「自分の稽古とお弟子さんの稽古に真摯に取り組むこと」それを続けることが「自分の舞台を作ることになる」と強く思いました。