能と日本画3

小林古径は大好きな日本画家のひとりです。随分前に生誕110年を記念した特別展を観に行ったことがあります。若い頃から亡くなるまでの数多くの作品を展示してありました。花鳥画も静物も人物画ももちろん素晴らしかったのですが、どうしても気になるのが能と関連する絵でした。「清姫」は道成寺の絵巻ですし、「小督」は琴を爪弾く小督と、帝の命を受けて小督の局を探し嵯峨野を行く仲国との対の掛け軸、「松風」はワキ僧に弔いを乞う能姿の松風村雨を描いたものでした。その時観たものかどうかは忘れましたが確か能をそのまま描いたものには「楊貴妃(玉簾)」もあります。

その中で私が一番好きなのは「小督」でした。その展覧会で初めて観て、謡の中の「駒之段」そのものだと思いました。描かれた年代をみると、古径が18歳の時の作になります。これは能を題材に描いたのではなく、平家物語のその部分を切り取って描いた絵だな、と思いました。当然、能も平家物語を切り取って題材にしているわけですから、イメージが重なるのは当たり前です。片方の軸からは寂しい片折戸の家から小督の局の爪弾く琴の音が漏れ聴こえ、もう片方の軸には、帝の想い人小督を探しまわっていた仲国が、秋の野に駒を止めて琴の音に耳を澄ます様子が優しく描かれていました。月の光も嵯峨野の風情も感じさせてくれる作品で、とても18歳の絵とは思えませんでした。

あとから調べたら古径は16歳で新潟から上京し、その時最初に師事したのが梶田半古でした。梶田半古は「能と日本画2」で取り上げましたが「菊慈童」の絵で私がはまった日本画家です。古径が半古に師事して二年目、師匠に一番影響を受ける頃かなとも思います。思い出すとなんとなく空気感が似ていました。他にこういう絵がないことからしても、面白い発見でした。


「松風」や「楊貴妃」の能を題材に描いた絵は、美しいとは思いましたが能以上のイメージの広がりはなく、ずっと観ていたいという感じにはなりませんでした。


演じられている能を題材として描いた絵より、能とは関係なく、古典の物語を切り取ってその人のイメージで描かれた絵のほうが、私にとってはずっと共感でき、能のイメージを広げることができるということがよくわかりました。
また後でわかったのですが、古径は最初の「能と日本画」で取り上げた速水御舟とも深い交流があり、御舟が亡くなったときはそのデスマスクを描いたほどの繋がりだったそうです。
梶田半古と小林古径、そして速水御舟、私が心惹かれる画家がそれぞれ繋がっていたことがわかったのは、嬉しい驚きでした。

ひとりの画家の一生を通じての作品を観ることでいろんな発見ができることの楽しさを教えてもらった、小林古径の特別展でした。

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