今年の秋も福岡県うきは市の私の実家、楠森堂で催しをすることは難しくなりました。
実家で200年以上続く茶園を受け継いでくれている甥が、心魂込めて作っている在来茶。それを古い蔵で熟成させ秋に「蔵出し茶」として封を開けるときに、実家の庭に向き三方が開いた奥座敷を開放して開催する「試飲会」を10年ほど前から続けています。私もなにか応援をしたいと考え思いついたのが、その座敷を舞台として使う会を催すことでした。
最初は有志だけの小さな会でしたが、山本東次郎先生をお迎えして狂言の会を催したり、薩摩琵琶の岩佐鶴丈先生をゲストに来ていただいたり、囃子会も催し、お客様も大勢着ていただけるようになって、気がつけば7回を数えていました。8回目を予定して稽古も始めていた矢先のコロナ蔓延…。仕方なく昨年の会は無念の中止といたしました。
楠森堂の面々も私もとても残念でしたが、いつも参加してくださってた先生方も、お弟子さん方も残念に思ってくださったようです。
中でも一回も休まず参加してくださり中止を残念がっていらした、あるお弟子さんが思いもかけず、この6月にお亡くなりになりました。この時節お参りに伺うことも叶いませんでしたが、亡くなるひと月前にお会いしたとき最後に交わした言葉が「うきはに行きたい!」でした。前の年に中止になった時に稽古していらした曲をずっと続けて稽古なさり、今年催されたら舞えるようにと準備なさっていました。
本当に残念で辛い出来事でした。
世の中の状況が改善されたら、まずは緑桜会でその方の「偲ぶ会」をしようと、みんなで相談しています。そしてうきはに行けるようになったら、その方が稽古していらした曲を追善として私が舞いたいと思っています。
東京の会もままなりませんが、令和5年には緑桜会が30周年を迎えます。記念の会を是非梅若能楽学院会館で催したいと思っています。
そしてその翌年令和6年は私を能に導いてくれた両親の33回忌と27回忌に当たります。感謝を込めて両親の追善の会を、うきはの楠森堂で催したい!そう心に決めています。