稽古には男も女もない

8月21日、尊敬する野村幻雪先生が亡くなられました。1月にご入院なさっていたというお話を伺いましたが、その後退院されてからも7月まではお舞台をお勤めだったので、本当に驚き、しばらくは信じられませんでした。

普通であればお言葉を交わすこともできないような先生でしたが、鵜澤久さんから女性地謡の研究公演にお声掛けいただいたことで、思いがけず何度もお目にかかりお話を伺う機会をいただきました。
研究公演での五番の能は女性能楽師が通常地謡を謡わせていただけないような大曲ばかり。「松風」「通盛」「求塚」「卒都婆小町」「定家」幻雪先生はその全てのシテを勤めてくださいました。もちろん鵜澤久さんとの深い信頼関係がお有りになってのことだと思いますが、本当に信じられないようなことでした。そのお仲間に加えていただいたことで、身に余る経験と能楽師修業をさせていただいたと思っています。

お稽古の時や申合せや会終了後の打ち上げのときには、お直し以外にもいろんなお話をしてくださいました。興味深いお話がとても多く、「声の道場」の本の中にも先生から伺ったエピソードを書かせていただきました。また、息の遣い方にヒントを頂いたこともあります。イメージの大切さも学ばせていただきました。
人間国宝になられてすぐにお囃子会でご一緒させていただく機会があり、気持ちばかりのお祝いをさせていただいたのですが、後日ご自筆のお礼のお葉書をいただき恐縮したことがあります。驚くやら嬉しいやら、今も大事にしまい込んであります。
その中の文章が忘れられません。

「……女性地謡の能、これは画期的挑戦と心得ます。私は女性の特性を充分に生かした芸を作り上げるべきと芸大教官の時より主張しております。男性とは異なる質感を以て演じるべき、然し基本は男女の差は不用、進歩の果てに可能なこと、皆様の情熱に対し少しでもお役に立てばと思う次第であります。……」

このような思いの中、五度もシテを勤めてくださっていたのだと、今また読み返して胸が熱くなりました。
「基本は男女の差は不用」これは言い換えれば「稽古には男も女もない」ということになると思います。
能には女性には無理だと言われる曲もあります。ある宴席で、著名な男性能楽師の方に
「あなた達は能に対するビジョンはあるの?安宅や鉢木が舞える?」
と聞かれたことがあります。「面を付けない現在能で男性を演じるのは女性には無理があるだろう」ということをおっしゃったのだと思います。私は「舞台に掛けるかどうかは別として、やってもいいとお許しがあれば稽古だけはさせていただきたいと思っています」と答えました。その方は黙って立っていかれましたが、そのようにはっきりお返事ができたのは、野村四郎先生(当時)のその葉書のお言葉があったからだと思っています。
直接にお稽古をつけていただいたわけではありませんが、能楽師としてのバックボーンを教えていただいたと思っており、本当に感謝しています。
まだまだお話を伺いたかった…。
心からご冥福をお祈り申し上げます。  合掌

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