私は昔から覚え物をするときは、書いて覚えるタイプでした。今でも謡を覚えるときは、筆で文章も節も謡本を丸写しし、それを冷蔵庫に貼って、台所で料理をしながら覚えたりしています。
書き写すのが苦にならないというか、むしろ好きなのです。ですから、笛を習い始めたときも、まだ自分には難しいような手付や口伝書みたいなものも、先生が許してくださったものは皆書き写していました。後々それがとても役に立ったのですが…。
長女が生まれる少し前、もうお稽古にはしばらく通えないと思っていた頃、金春惣右衛門先生のお宅の本棚で森田光風先生著の「能楽要技類従」という本を見つけました。中を見せていただくと、興味のあることがぎっしり詰まった本でした。「昭和36年4月発行非売品300部限定出版」と書いてあります。自分で手に入れることは難しそうです。
「そうだ!お稽古ができない間、これを写させていただこう!」
先生は快く許してくださり、私はお休みしていても能と繋がっていられるという喜びいっぱいで、分厚い本を大事に抱えて帰りました。
それから長女が生まれるまでは毎日、生まれてからも暇を見つけては読むのを楽しみながら書写し、大学ノート4冊分で写し終えました。喜々として太鼓仲間にその話をしたら、私がその本をお借りしたあと、金春先生が「実はあの本はもうすぐ編集されて出版されるんだけど、せっかく頑張って写すと言ってるのを止めさせたくなかったから言わなかったんだ」
とおっしゃってたとか…。
「えーっ!」
と思いましたが、それまでの充実感を思ったら、
そのお計らいに感謝しかありませんでした。
長女が生まれたのが昭和54年の夏…。翌年55年、私が写し終わって間もない頃、田中一次先生から「森田流奥義録(森田光風遺稿集)ができあがりました」というお手紙をそえて新しい本が届きました。
この本は今は能楽師や囃子を長年稽古している方ならほとんどがお持ちだと思います。笛の唱歌集も一緒に記載され、私が写した要技類従より整理されわかりやすくなっています。整理されたとはいえ、もちろん内容は深く、沢山の人にそれを伝えたいと発行された本なのだなと納得しました。
最近、そのとき書き写した4冊のノートを見つけ、懐かしく読み返しました。今読んでも難しい…。そんな凄い元の本の存在に気づき、わからないながらに必死で写していたその頃の私を褒めてあげたくなりました。そしてそれをさせてくださった金春惣右衛門先生に改めて感謝しました。
今考えると、稽古ができなかった時期に能から離れずにすんだのはその作業のおかげだったかもしれません。