時々の初心

入学式や入社式などの祝辞などでよく「初心忘るべからず」と言う言葉を使われることがあります。この言葉は「風姿花伝」の中で世阿弥が述べているのですが、普通に思っているのとは少しニュアンスが違います。
それは私が能を始めた頃「風姿花伝」を読んで、まだ難しいことはわからないながら、最初に「世阿弥ってすごい!」と思った内容でした。

「初心を忘れない」のはいいが「初心に返る」のはいけないというのです。昔「最初の頃の新鮮な気持ちを忘れずに」という意味にだけ捉えていた私はびっくりしました。
世阿弥が能の稽古において「初心」について述べていたのがどういうことかというと……
「初心」にはいろいろあるというのです。本当に最初に稽古する時を「是非の初心」と言っています。しばらく経って同じ物を稽古するとき「これはやったことがある」と思ってはいけない。曲目は同じでも自分が違う、日々修業していれば少しでも力は付き自分は変わってきているはず、その自分がそれを稽古するのは初めてなのだというのです。「前にやった」と思うことで未熟な自分の初心に返ってしまう。だから「初心に返る」のはいけない。前にやった曲でも「いつも初めて」だという気持ちで稽古に当たり、その時々の自分が取り組む、それを「時々の初心」と言っています。長年「時々の初心」を積み重ねてはじめて、歳をとった体に対応でき、能を舞うときに活かされる。それが「老後の初心」ということなのだと…。

若い頃、なんと深い言葉だろうと感じ入りました。その時々の自分の力で前にやったものを初めてのものとして取り組む、これは相当気をつけていないと難しいことです。これまでそれが出来てきたかどうか…。
また、これは修業の上だけでなく、人生の上に置き換えても言えることだとも思います。物事に対応するときに、少しでも成長した自分がその時々に対応できているかどうか…。
「風姿花伝」の中にいくつも出てくる、芸に対しての心にしみる世阿弥の言葉は、ほとんどが人生訓に置き換えられると思っています。
私は70歳過ぎてしまいましたが、もうしばらくそれなりに舞台が勤められるよう、また人としての残された日々をしっかり過ごせるよう、「時々の初心」を肝に銘じたいと思います。

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