歌は語れ セリフは歌え

森繁久彌さんの言葉です。
「歌は語れ」とは「メロディにとらわれすぎて言葉が疎かにならないように」「歌うときほど言葉を大切に」ということだと思います。
「セリフは歌え」というのは「言葉が棒読みにならないようにリズムよく抑揚に気をつけて」ということなのかなと…。
森繁久彌さんの演技や、「知床旅情」の歌唱を思い起こすと、とても納得がいきました。セリフは流れや緩急が自然で気持ちよく伝わりましたし、歌はメロディ以上に言葉が心に響きました。

能の謡でも同じことが言えると思います。
台詞はただ決まりどおりに謡っていると単調になり、言葉として伝わりません。節はありませんが、自然に話している時のような間や抑揚が必要なのです。
また節がついているところを美しく歌い上げると、音楽的なものに邪魔されて言葉が聞こえてこなくなります。やはり歌ではなく語りとしての言葉の意味合いが前に出ないと、謡ではない気がします。
「日本の歌はまず言葉ありき」とよく言います。古来、日本の歌は節が先にできているのではなく、まず文章ができ、その言葉がよく伝わるように作曲されています。
先にできた曲に日本語を乗せるとなんとなく言葉がわかりにくいことが多いような気がします。歌詞を見るととても素敵な詞なのに言葉はあまり伝わってこなくて、音楽のメロディやリズムによって感情が伝わってくるというか…。
思いが大事なのは歌もセリフも当たり前ですが、曲と言葉とどちらが先かというのではなく、日本語の持っている特性がどちらにあうか、なのだと思います。

「能の謡は音楽ではなくて語りだよ」と前に師匠が仰ってました。「歌う」のではなく「謡う」。確かに言偏がついています。日本の歌には「唄う」「唱う」「咏う」「詠う」、確かにそれぞれ分野によって字が使い分けられているな、と思いました。

「知床旅情」も、森繁久彌さんが歌われると語り、加藤登紀子さんが歌われると歌。私にはそう聞こえるのがとても面白いと思いました。

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