「腹」を考える

「お腹から声を出して」
とよく言います。ほとんどの人は、そう言われると大声を出します。それを続けていると喉が痛くなる。本当に腹から声が出ているのでしょうか。そもそも「腹から声を出す」とはどういうことを言うのでしょう。

昔は「腹」という言葉をつかった会話がよくありました。
「腹が立つ」「腹を割って話す」「腹を据えてかかる」「腹に一物ある」
などなど……。

この頃そういう言葉をあまり聞かなくなったなと思います。その中でも私が気になっているのは、若い人たちに「腹が立つ」の代わりに「頭に来た」「むかつく」などという言葉を使う人が多くなっていることです。

「声の道場」を始めて皆さんに姿勢や呼吸をお教えしていて、多くの声に悩みを持つ現代人の声の弱さは、体を使うことや日常的に声を出すことが減り、姿勢が悪くなり、呼吸が浅くなっていることと関係しているのではないか、と考えるようになりました。それは腹式呼吸、言い換えれば「お腹を遣った呼吸」がうまくできていない、ということに他なりません。

何か事が起きたときに、一度自分の腹に収め冷静に考えるためには、深い呼吸が必要なのだと思っています。それでも怒りが収まらないのが「腹が立つ」。
何も考えずすぐに反応して怒ってしまうのが「頭に来る」「むかつく」。我慢できずに怒りを爆発させるのを「キレる」と表現。これらは呼吸が浅くなっていることと関係するのではないか…。
また、攻撃的にならないとしても、問題が起きた時によく考えず、すぐに諦めてしまうのも呼吸が深いようには思えません。
腹が立ってもキレることなく、すぐに諦めることなく、しっかり考えて次の行動に移れる人、それが「腹が座った人」なのだと思います。
最近短絡的な事件が起こることが多いのにも関係してるのでは、とまで考えてしまいました。

話を戻します。日本語の場合、声帯の振動で生まれた声は、呼吸が浅いと口先から聞こえるのみ。体に息が溜まっていなければ、声はせいぜい喉元でしか響かず、相手の耳に届きにくいのです。

息を遣わないと発音できない言語(英語や独語、仏語など)に比べて、日本語はあまり息を遣わなくても話せてしまう。そのために声が響かないのは息が浅いから、ということに気づきにくい言語だといえます。言い換えれば、日本語は現代においては息遣いをより意識しなければ相手に伝わりにくい言語だともいえます。

腹式呼吸で深く入った息、それが腹の呼吸筋でしっかり体に溜められた状態ならば、声を出すと体に響く声になります。その状態でしっかり声を出すのが「腹からの声」。
昔の人は体をよく使って呼吸が深かったので、その状態で大きな声を出すと、お腹を使う感じがよくわかり、「腹から声を出す」と言う言葉を使うようになったのではないかと思います。体の仕組みもよくわからなかった時代、声は声帯で作られるということは知らなくても、しっかりお腹を使った声が出せていた、ということなのでしょう。

現代人は昔の人に比べて日常生活で体を使うことが少なくなったために、お腹の力を使うことも少なくなり、呼吸も当然のことながら浅くなってきている。それが言葉のなかに「腹」を使うことが少なくなったひとつの原因なのではないかと思っています。
声が声帯で作られる事を頭で知っていても、体で「腹」を感じることができなくなってきている。そのために声を出すことにおいて「お腹から声を出す」ことと「喉だけで大きな声を出す」ということを混同しているのではないかと思うのです。

「声と息」について、ご興味のある方は、私が平成22年に発行しました拙著、「声の道場〜日本の声が危ない〜」の中の第三章「日本の声が危ない」を参照いただければ嬉しいです。

「和の声」を求める「声の道場」では、姿勢を正し、深い呼吸をすることを意識していただく。その状態でしっかり「お腹から声を出す」ということを皆さんに感じていただき、その大切さをお伝えしていきたいと思っています。

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