日本の声とモンゴルの声

お弟子さんからお知らせをいただき、1996年に放送された「松任谷由実 モンゴルをゆく 〜神秘の声ホーミーの旅〜」という番組の再放送を観ました。

民族音楽の歌声には、人間に聞こえないα波が出ているものが多く、それが聞いている人の脳に良い影響を与えるということでした。人が心地よく感じるのは、耳から入る音以上に、体から体に届く響きがあるということなのだと思います。ホーミーにもそれが顕著にあることを実験で証明していました。

私は「声の道場」にいらした方に最初に構えをお教えした後に、ハミングで体のいろんな部分を響かす体験をしていただいています。胸のあたり、声帯のあたり、後頭部のあたり、というように…。
口を閉じて姿勢を正しているので、息が口から出ないで体に溜まった状態となり、軽い音でも体に響き、その場所が変わると結果として音も変わっていく、ということを感じていただくためです。
それと同じようなことをホーミーの名人が声の出し方を説明するときに実演していらしたので「理屈は同じだ!」と嬉しくなりました。
その方がホーミーを歌う映像をよく見ていましたが、口がほとんど縦に開きません。体を動かさず自然体で、完全に体を楽器として歌って(声を響かして)います。昔聴いた日本の祈りの声であるお経や声明とも共通点があるように思いますし(最近はそういう感じのないものも多いですが…)、大自然と一体化した風の音のようでもあります。人間の持つ自然音というか…。

「声の道場」の講義のとき私は
「虫の声が聞こえる中、不用意に声を出すとピタッと鳴止むことがあります。けれどもそれぞれの人がそれぞれの体に自然の声を響かせたら、もしかしたら虫は鳴きやまないのではないかと思います。人間もひとりひとりが、自然音としてその場に溶けそむそんな声を持っているはずなのです」
などとお話ししていました。
日本とモンゴルには自然を敬い崇拝する風土に生まれた声や言葉を育んできたという共通点があるような気がします。
「声の道場1」の中に
「モンゴル出身のお相撲さんたちの日本語の発音はとても自然に聞こえる。もしかしたら、もともとモンゴルの言葉は、日本語の発音と似ているのではないか」
と書いています。この番組を見て、モンゴルの言葉は間違いなく口をあまり縦に開けなくても発音 できる言語なのだと思いました。体を共鳴体として口の中で発音できる言葉で声を響かす話し方歌い方が受け継がれて来たのかもしれません。
「人間は文明が進むにつれ体を使うことが少なくなってきている。特に口先で言葉が作れる日本では呼吸にも声にもその影響があり、弱体化してきている。また西洋の文化が広がるとともに日本古来の日本の言葉のための発音発声が変わってきてその弊害が出てきている」
というのが「声の道場」の本を出版するときに「日本の声が危ない」というサブタイトルをつけた理由でした。そして「体に響く自分本来の声を見つけよう」ということを主眼にしていたのです。

 NHKでこの番組が制作されたのが1996年で、その後2010年にホーミーは世界無形文化遺産に認定され脚光を浴びるようになってきたそうです。
番組の中で、
「自然への祈りとしてのホーミーが、広くもてはやされるようになり、商業的なものや広めるためのテクニックに走ることによってただの芸能になってはいけない」
というようなことを言っていました。「世界的な文化の向上がその地に自然発生した文化を生滅させてはいけない」ということを言っているのだと思います
能の声ももとは自然や神や仏への祈りの声からの派生であると思います。武士の式楽となって力強さが加わったとしても、あくまでも自分たちの心身を鍛える、舞台に命をかける、神仏を崇め道を求めるものでした。近代になって沢山の人に広めようとすることが商業的な影響を及ぼし、それが良いこともあるかもしれないけれど、もしかしたらかえって本来の能の在り方を変えてしまっているのではないか、そんな気さえしてきました。
以前、「能の声や囃子の響きにα波が出ている」と聞いたことがあります。当時能楽堂で拝見していた能と今現在の能を比べて、私は少しうるさく感じる時があるのですが、もしかしたらそういう舞台からはα波が減っているのではないでしょうか。言い換えると体が共鳴体として完全には働いていない、そんな声が増えているのではないか…と考えてしまいました。

「声の道場2」に寄稿していただいた山本東次郎先生の文章の中に、「能にオペラ歌手のような魅力的な声はいらない。必要なのは『真に誠実な声』」とありました。また「近くで聞いてうるさくなく、遠くには言葉としてしっかり伝わる声」とも。「その声が観客の心に届いて初めて、能狂言は鑑賞される価値のあるものとなる」と述べられています。
ホーミーを聞いていてその言葉を思い出しました。体の使い方はもちろん違うと思いますし、言葉もわかりませんが、ある意味「誠実な声」に違いないと思います。テレビからでさえもホーミーの響きに心洗われる気がしたのですから。

和の発声を伝えていきたいと思っている私です。これからも稽古を重ねて「自分の心と体に誠実に響く声」を求めて行きたいと強く思いました。

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