能楽師になって七、八年経った頃、ある会にお手伝いに伺い、山本東次郎先生の講演を聴かせていただく機会がありました。その時に心に響いた言葉があります。その後の私の能楽師人生の指標となりました。
当時、憧れの師匠の元で玄人として修業ができるようになり、能も舞わせていただけるようになった頃でした。
女性が能楽師になるのは難しい、と言われながら好きが高じて飛び込んだ世界です。とてもやりがいがありました。と、同時に「女性にとってハードルが高い」ということも強く感じていました。
どんなに真似をしても頑張っても男性能楽師と同じように能に関わることはできない。けれども「能が好き、好きなことを努力できる環境にいられる」ということで自分を納得させ、感謝していました。
その時期にこの東次郎先生のお言葉
「師の跡を求めず 師の求めたるところを求めよ」
に巡り合ったのです。全身にビ~ンと感じました。
「師匠をいくら真似しても、背中を見てついて行っていても、それではその先には行けない。師匠がいらっしゃらなくなったらそれから先は進めない。芸を繋いで良い形で先に残していくには、師匠の背中を見るのではなく、師匠が目指しているところを目指さなければいけない。そうすればどんな時でも、少なくとも前に向いて進んでいくことができる。」
私はそのような意味に捉えました。もちろんこれは芸の家の継承者に対しての教えとしてのことをお話になったのだと思います。けれども私は自分に転化して考えたのです。
女性で能の道を歩き始め尊敬する師匠につき、舞台を可能な限り拝見し、その背中を追い求めながらも、女性の能楽師の難しさを肌で感じ始めたところでした。
「そうか、師匠の背中を見ているから壁ばかり感じるのかもしれない。師匠も先へ進んでらっしゃるのだから余計に距離ができるのは当たり前。芸が近づくわけがない。師匠の目指していらっしゃるところ、人ではなく能の本質を目指せば、生きている限り止まらず一歩でも二歩でも前に進める。そうやって自分を高めていく事には女性も男性も関係ない。そうやって前を向いている中で人生を終わることができれば最高ではないか」
と一瞬の内に思い至ったのです。
「師の跡を求めず 師の求めたるところを求めよ」
勝手な解釈だと思いますが、その頃の私の迷いを吹き飛ばしていただけた、忘れられない言葉となりました。