入れ歯の歴史

だいぶ前にテレビで、昔の街道をめぐり歴史的なお宝を探す、という番組を見るともなく見ていたときのことです。白い綿にくるまれた小さなお宝が…。なんだろうと思って見ていると、江戸時代の木で作られた入れ歯でした。
そんな時代から入れ歯ってあったんだ、と「入れ歯の歴史」で検索してみました。平安時代から日本では木で入れ歯が作られ、鎌倉時代にはだいぶ使われていて室町時代には噛める入れ歯としてヨーロッパより200年も早く実用化されていたのだそうです。
西洋にも紀元前からそれらしい物はあって、いろんな材料で作られたり歴史は長いのですが、見た目重視で食事のときに使われるような実用的な物ではなく、あまり普及しなかったとか。

どうして入れ歯のことが気になったのかというと、私が定期的に診ていただいている歯科医院の先生が、私の「声の道場」の本を読まれて質問なさったことを思い出したからです。そのときのやり取りが面白かったので「声の道場 2」で取り上げさせていただきました。

その先生が入れ歯を作ってあげた方の中に、すぐに馴染む人となかなか馴染まない方があると言われるのです。同じようにぴったりできているのに、です。訓練として遠くに向かって大きい声を出したり、新聞の難しい文章を声に出して読むことを勧めていらしたとか。私が最初に出した「声の道場〜日本の声が危ない〜」を読まれて、「自分が勧めていたことは逆効果だったのでは?」
と思われたのだそうです。

その本の中で私は、『日本語の発声発音は自分の内に向けて「息の中に文字を言い放つ」のが基本』と主張していました。
大きな声を遠くに向かって叫ぶようにしたら、間違いなく入れ歯が外れそうな気がするでしょう。また、難しい言葉を声に出して読もうとすると頭を使って字をたどるのでどうしても一字ずつ口を大きく動かしてしまい、入れ歯に違和感がでるのではないかと思います。

「声の道場 1」のなかで「日本語の特徴」という項に詳しく書いていますが、日本語は顎をあまり縦に開けて発音することはないのです。顎関節を両手で触って、そのまま日常使う「ありがとう」「こんにちは」と話してみてください。ほとんど動かないのがわかります。同じようにして英語や仏語などで「Thank you」「Hello」「Merci」などと発音してみると顎関節がグリッグリッと動くのがわかります。
日常会話は自然に話しますから本来の日本語の発音であれば顎をあまり縦に動かすことはないので、入れ歯は落ち着くのだと思います。
私は
「難しい言葉より馴染んだ言葉を話す練習のほうがいいのでは」
とお勧めしました。
入れ歯がすぐに合う方には、昔学校の先生をしていらした方が多いとも伺いました。入れ歯を入れられる方ですから、ある程度お歳を召されています。昔の先生方を思い出してみると、現代の先生より姿勢がよくて、体に響く説得力のある声の方が多かったよう思います。
そういう方たちは日本語の発音が自然にできていたために口を大きく開けて話す必要がない。言い換えれば日本語の発声発音が自然に身に付いている。それが、昔先生をしていた方に入れ歯がすぐに馴染む方が多いということの理由なのかもしれないと思いました。

江戸時代の入れ歯からこの話を思い出したのです。日本では西洋より200年以上も早く実用的に作られていたという入れ歯。昔の日本人は顎がしっかりしていて、日本語の発音も顎を縦に使わなかったから入れ歯が安定しやすかったのではないでしょうか。そのため普及もし、技術改良も進み、当たり前のように近代まで続いてきたのかなと思いました。
私達が子供の頃はお歳を召した方が入れ歯なのは当たり前のことでした。

「日本では西洋よりもずっと早く実用的な入れ歯が作られ普及していた」というのは西洋より細かい仕事が得意な日本だったからこそ、ということもあると思いますが、言語の発声発音の違いによる顎の動きが違うということも大きかったのではないかと思います。もしかしたら西洋でも入れ歯を力を入れて研究していた人はあったかもしれない。ただ顎を縦に使う発声発音だったために無理があったのではないか。入れ歯が馴染まなかったからインプラントの研究の方が進んでいったのではないかと思いました。それがなるべく歯を抜かないで大事にすることに繋がり、虫歯の予防、歯並びの矯正を中心の治療になった気がします。そして最終方法として、入れ歯ではなくインプラントの技術が進んだのではないでしょうか。
日本の昔からの歯科医療は最終的に入れ歯が当たり前だったので、歯を抜くことに抵抗がなく、入れ歯を作る技術は進んだものの、予防やインプラントの技術が遅れたのではないか、とも思いました。この辺は門外漢の想像でしかありません。

第二次大戦後、急にアメリカの文化が日本に流れ込みました。それ以前に鎖国が解けた明治期にも西洋文化が入ってきて文明開化などと言われましたが、その頃はまだ一部の人達への影響に限られ、それは表面的な変化の始まりだったのだと思います。第二次大戦の敗戦後はすべての日本人の生活が変わりました。生活様式の変化とともに、教育も戦前のものは否定され一変。言葉も日本語に合わない西洋式の口を大きく動かす発声法を子供の頃から学校で教えられることになります。
それからも70年以上経ちました。だんだん生活が便利になり、年を追うごとに姿勢の悪い人が増え、食事の変化で顎の力のない人が増え、全体的に日本語を話す力が衰えてきた。その結果日本では昔より入れ歯が合わない人が増えたのではないか、「声の道場」を始めてからの経験を踏まえるとそう思われてなりません。
「歯は大事に。抜かないほうがいい。そのために予防、抜いたらインプラント」という西洋式の治療や技術が、入れ歯が合わない人が増えた日本でも進み、今の治療法に至っているのではないかと思います。

歯を大事にすることは本当に大切で、私も歯の磨き方を教えていただき、3ヶ月に一度はチェックしていただいて、今のところ自分の歯を維持できています。虫歯で歯を抜いたという人も減り、入れ歯の人もずいぶん少なくなって歯科治療の方向性は素晴らしいと思います。
ただそれとは別に、入れ歯の歴史をたどったことで、日本人の顎の使い方が変わってきていて、本来の日本語の発声発音が出来る人が少なくなっていることの証明となってしまったことに、なんとも言えない虚しさを感じています。日本語を話す日本人として、歯の治療と並行して姿勢との関連性も考え、顎の力を付けていくことが大事なことのような気がします。

この頃私が思いついて発声発音のために使っている「奥歯を噛んだまま体に向かって話す」という稽古方法は、もしかしたら入れ歯が馴染まない人の訓練方法になるかもしれません。子供の「口ぽかん」を治すために考えた「腹話術ごっこ」も同じ発想です。
また前にアップした「マスクが馴染む国」で述べた「日本語の正しい発音発声はマスクにストレスを感じない」こととも通じます。口先でボソボソ話し聞き取りにくい声の改善方法は「口を大きく開けて話す」ことではなく「姿勢を正し声を体に響かせる」ことなのだと思っています。それは間違いなく健康に繋がり、日本人の体を取り戻すきっかけになると考えています。
「声の道場」「能エクササイズ」を通じてまた「日本人の声」「日本人の体」を強く発信していきたいと改めて思うこの頃です。

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