息の中にて文字を言い放つべし

免疫力を高め感染症に打ち勝とう

私はここ十三年来、和の発声の指導のため「声の道場」を主宰しています。その中で「日本人の声が弱って来ているのは、呼吸すなわち息が弱っていること、それは姿勢が悪くなっていることに原因がある」ということに気づき、警鐘をならしたいと三冊の本を著しました。今また多くの方にお伝えしたい思いを文字にしたくなりました。特に教育関係の方や若い方に読んでいただきたいと思います。

日本語の特徴は、あまり顎関節を使わず、子音を発音するのはほぼ口の中で、表に押し出さずに発音できることです。

姿勢が悪いとどうなるか考えてみましょう。

猫背の場合

呼吸器官は肺から喉、口に繋がるところまで、背骨と首の骨に平行です。
腰を立てず猫背になると当然顔が体より前に出ます。そうすると息は骨に沿ってどこにも当たらず口から外へ抵抗なく出てしまいます。その結果声を出そうとすると、声帯で音となり口で作られた文字は息に乗って外へ出てしまいます。英語やイタリア語などのように強い息を遣う発音を必要としない日本語は「口先だけの弱い声」と言われることになるわけです。それをはっきりさせるために表に向けた強い発声を教えてきたのが、第二次世界大戦後の日本の発声法だったのではないでしょうか。
「口を大きく開けて! ア、エ、イ、ウ、エ、オ、ア、オ」
誰しもが経験していると思います。考えてもみてください。日常会話でこんな発音をする日本語があるでしょうか。このやり方では音ははっきりするかも知れませんが、美しい日本語を崩してしまいます。大きな声であったとしても、外に散り、うるさい声になってしまうので、相手の心に響く伝わる声にはならないと思うのです。

姿勢を正した場合はどうでしょう。

腰を立て背筋を伸ばし、頭がしっかり体の上にあって(顎が出ず、耳が肩に垂直の状態)呼吸をすると、肺から背骨に沿って出てきた息は、口に直接出ないで上顎に当たり、体に息がある程度溜まる状態になります。それで声を出すと口の中で作られた文字は、そのまま息の溜まった体の中で発声され、体が共鳴体となって文字移りの自然な響きのある声になるのです。良い姿勢であれば、小さな声でも優しく響き、大きな声でもうるさくない強い声として相手に届くでしょう。
日本語の悪い印象となる「口先だけの声」。
これは姿勢が悪く声が響かずに、くぐもっていることによって印象づけられているのだと思います。そしてそれを解消するための、口を大きく開けるという発声方法が、日本語を違う方に向かわせていることをお伝えしたいと思うようになりました。

新型コロナウイルスからの気づき

和の発声を求める方や、相手に伝わる話し方を求める方のために、講演やワークショップをさせていただいたり、発声法をお教えしていた私ですが、もっとたくさんの方に日本語の素晴らしさを伝えたいと思うようになったきっかけは、今(2020年)、世界をあっという間に恐怖に陥れた新型コロナウイルスの蔓延でした。

テレビでも毎日関連ニュースが流れ、日が経つにつれいろんなことが分かってきました。世界中の感染者の数の推移が知らされ続ける中、一つの疑問が取り沙汰されるようになってきました。都市封鎖や懲罰などの強い強制力の無い中での自粛、検査などが順調にいってないと思われる体制、とても流れがスムーズとは言えない日本の感染者・死亡者の数が、他の国より格段に少ないのです。テレビでもそれが取り上げられ、日本にはもともとマスクをする習慣が根付いていたこと、握手やハグなどの習慣が無く人と人との接触が少ないこと、家に上がるとき靴を脱ぐこと、衛生観念がしっかりしていることなど、その理由に頷かされました。

能の謡の発声は飛沫飛散が少ない

また唾液の中に多くウイルスが存在し、その飛沫が一番の感染のリスクになっている、ということが分かってきていたことから「日本語の発音」ということに目を付けられた方がありました。ティッシュを顔の前に下げ、「This is a pen.」「これはペンです」と英語の発音と日本語の発音をする実験がありました。英語では大きくティッシュが動いたのに、日本語では少ししか動きませんでした。ここでハッと気がついたのです。
「私は最初からお稽古の時皆さんに注意してたじゃない」と。

実は新型コロナの感染の危険が伝えられ出した頃、心配なこともあり、
「マスクを付けたままお稽古しましょう」
ということにしていました。当然
「謡っていると息が籠もって苦しい」
と言う方もありました。そんな時私は
「能を舞うときは面を付けています。謡うときに息が前に出ると面の中に息が籠もって言葉がはっきりしません。腰を入れ背筋を伸ばし顔が前に出ないようにすると、息が体に溜まって声が体に響くので言葉がはっきり聞こえます。マスクに息が籠もって苦しいときは顔が前に出ていると言うことだから、謡としての良い発声では無いということです」
と説明をしてその方の構えを直し、これは良い稽古方法だと思ったのでした。

マスクに息が溜まらないということは、正しい姿勢で日本語を話せば口から出る息が減り、その結果飛沫が飛ばない、ということになります。また正しい姿勢は深い呼吸ができ、しっかり酸素を体内に取り入れ免疫力が上がるとも聞きました。このようなことから、「謡の稽古は正しくやれば、かえって感染予防にもなる」との思いを強くしました。また、謡の発声は別として普通に話している中でも良い姿勢で「顎を出さずに話す」これだけでも飛沫を減らすことができるし、マスクをした時も息苦しさを感じにくくなると思います。

今回の感染の特徴には、症状が出る前に人に感染させているかもしれない、ということがあると分かっています。
症状があれば当たり前にマスクをしたり家に籠もったりするので、人に移すリスクは少なくなります。けれども何も症状が無くて人と密に接している場合、常日頃から飛沫の飛ばない日本語で話しをしているのと、表に強く息を押し出す言語での話し方とでは、知らないうちの感染の度合いが違うということはあると思います。当然日本語で話していても顔が前に出て大声で叫べば人に移すリスクは大きくなるわけです。

こう考えてくると、姿勢が悪くなり声が弱くなってきている日本人が、正しい姿勢で正しい日本語を話すようになるということは、何においても今一番大事なことではないでしょうか。外国語を身につけることはとても素晴らしいことだと思いますが、こういう言語を持っていることを日本人はもっと誇りに思ってもいいのではないかと思うのです。
世の中が動き出し、学校で授業が始まったとき、勉強の遅れを取り戻すことも大事ですが、「まずは姿勢を正して話すこと、行動すること」が「感染リスクを下げ、免疫力を高めることになる」ということを、しっかり指導してほしいと心から願っています。

ただ単に「大きな声を出さないで」という指導が、かえって子どもたちの健康を損なうことになるのではないかと危惧しています。

「声の道場~日本の声が危ない~」で世阿弥の言葉を取り上げています。600年以上前に著した、世阿弥十六部集のなかの「曲附集」の中に

「息の中にて文字を言い放つべし。声先の正しきも息なり。 位の正しきも息なり。調子を持つも息なり。音曲のかかりも息なり。」

というものがあります。
「文字を息で押し出すのでは無く、体に溜めている息の中に言い放ちなさい。正しい声が出るのも息。曲の位(格)を正しく表現するのも息。調子を定めるのも息。音曲のかかり(序破急・文字の運び) も息で決まる。」
というようなことだと思います。これは能の謡の息遣いについて書かれた中の一文で少し難しいかもしれませんが、「息の中にて文字を言い放つべし」というのは、美しい日本語にとってとても大事な基本的なことであり、そのためには常日頃から姿勢を意識することは不可欠です。それによって呼吸が深くなることは、腹が据わり慌てず判断できることにも繋がり、これから何度も起こるかもしれない感染症の流行、また災害や困難に打ち勝つための一番の予防にも力にもなるのではないかと思うのです。

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