能の出来不出来には、能装束の着付けがとても影響してきます。どんなに上手な方の能であっても、着付けの不具合があるとそちらに目が行ってしまって、十分に楽しめないことがあります。もちろん芸がまるで出来てない場合には着付けがいいから能が良くなるということはないとしても、ある程度舞える能楽師の能では着付けによって格段の差が出ることは間違いありません。
能装束の着付けには最低三人が必要です。前(主)と後ろ(副)、そしてタイミングよく次にいるものを渡していく補助をする人です。
能楽師になって着付けの修業はまずしっかり見ること。そして滞りなく着付けができるように次々と手順通りに必要なものをてわたしていく補助ができるようになること。それをしながら後ろの仕事を覚えます。その折りにも前が今何をしているかを理解し、後ろがいつ何処を押さえたり放したりしたらいいかも見ておかなければいけません。後ろは前が見えませんから、前の仕事の順序が分かって想像しながらタイミングよく手を出さなければいけないからです。
このように装束付けは複数の人たちによってきちんと付けられるのです。ですから映画やドラマで能の舞台で倒れ、面を外したら別人だった、などということは絶対ありえません。見ていて笑ってしまいました。
装束がきちんと付くためにもう一つ大事なことがあります。それは着せられる人の力です。どんなに上手な人が付けてくださっても、構えが決まらず動いていてはきちんと付けられません。着付けをしていただくときに、舞うときと同じような構えができていてこそ、仕上がりが最上になるのです。
これは素人の方の舞の着付けをしていても同じです。着せられているとき、よく自分で確認しようと下を覗き込まれる方があるのですが、それだけで襟元は崩れてしまいます。背筋首筋が動くときちんと着付けることはできないのです。また、着付けているときと舞台での構えとが違うと、まるで感じが違ってしまいます。ですから私が着付けをして差し上げるときは、まず
「舞うときの構えをしていただけますか」
とお願いして、丈や袴の帯の位置を決めるようにしています。
着せてもらうときでもなかなかじっとしているのは大変ですから、自分で舞台での着物や袴を着付けるのは馴れるまでとても難しいです。順序ややり方を覚える以上に自分の体の姿勢を崩さないようにするのが大変なのです。どうしても確認のために結んでいるところを見ようとして下を向いたり体を捻ったりしてしまいます。そうならないためには、目で見ないで手を動かせるように何度もしてみることが必要なのです。舞や謡の稽古と同じですね。頭を使って順序や方法がわかったら、あとはくりかえして体で覚えるということが大事なのです。紐の結び方など、どうしたら緩まないように結べるのか、着付けとは別に練習するといいかもしれません。
ある程度やり方がわかったら、仲間とお互いに協力し合うといいと思います。特に後ろは、背縫いが中心にあるか、帯が斜めになっていないかなど確認し合い、お互いに直し合うことで自分が動かずにすみます。
年に何回かしか着ないのですから着付け教室で習っても、日常的に着なければ体で覚えるのは本当に大変だとは思います。それでも自分で苦労してみることによって、自分の補正はどうしたらいいかや、着付けてもらっているときの構えが大事なことなどがわかっていれば、何も考えずただ着付けてもらうよりも形良く着付けてもらえると思います。
玄人になって10年以上経った頃、装束付けをしてくださっている先生から
「能楽師の体になってきたね」
と言っていただけました。着付けていただいているときに「構えができている」と褒めていただけたように感じ、とても嬉しくなりました。
良く着付けをしていただくためには「着せられ上手」になること。すなわち構えが自然になることが大事なのです。
コロナ禍の中しばらく着付け教室を休んでいて、一度再開しようとしたのですが、また次の波が来て断念してしまいました。
今度こそと思いたち、昨年末から希望者を募って来ました。
4月の緑桜会大会に向けて、自分で着られる人や着せられ上手を一人でも多く増やすために、一月から着付け教室を再開することにしました。