20代後半で「山姥」の舞囃子をさせていただいたことがあります。最後のお稽古の時に先生が
「これ以上どっしりするには体重を増やすしかないのかなぁ」
と冗談のようにおっしゃいました。
修羅物や龍神の仕舞ではそう言われたことは無かったので、その時は「そういうものかな、向き不向きがあるのかな」というくらいにしか思っていませんでした。跳んだり跳ねたり割に体が動く方だった私は「どっしり」という感覚がなかなかわからなかったのです。それがわかったのは、50歳を過ぎてのことでした。
玄人になってすぐに「野守」の仕舞を舞わせていただくことになり、師匠に稽古をつけていただいたときのことです。「野守」は舞の中で三度「跳び返り」(振り向きざまに跳んで回転し正面に向き着地)があるのですが、20代で舞ったときは三度とも思い切り高く跳んでいました。その時も同じように跳んだら師匠から
「僕はあまり何度も跳ぶのは好きじゃない。跳ぶのは一度にしなさい」
と言われました。あとの二回は跳ばずにグイッと回ってグッと膝をつく型にするようにと。それは歳を取って跳び返りができなくなった人がする型だと思っていた私は「どうしてだろう?」と思いました。師匠は重ねて
「高く跳ぶのはかえって軽く見える。グイッと腰で回って正面に向きグッと着地するつもりでやってごらん」
と言われました。私は昔「山姥」の稽古の時に最初の先生がおっしゃった「どっしり」ということを思い出し、「跳ぶ」ということには体の軽さが露見することもあるのかな、と思いました。
「グイッと回ってグッと着地」何回も稽古しました。これで重さを感じさせるというのは、跳ぶ以上に難しいということがわかってきました。また、これまで跳ぶときに腰が使えてなかったということもわかってきました。「跳び返り」は高く跳ぶよりも安定した着地の方を意識しなければいけなかったのです。そのためには体の重心が浮いてはいけない。「跳び返り」というのは跳ぶというより足を腰に引きつけ、上で座位の形を決めて下に降りることだったのです。
腰が重要なことは頭ではわかっていましたが、身をもって体でわかったのはこのときが初めてだったかもしれません。若くて動けるということが、邪魔をしていたのだと思います。
本番で舞ったとき、初めて「野守」を舞った気がしました。今までは動くことを楽しんでいただけだったのだなと・・・。少しだけ「重さというのは体重ではない」ということがわかりはじめたときでした。
50歳を過ぎて、筋力の衰えを感じたり、膝を痛めたりして、若いときのようには動けなくなってきました。治療をしたり、ストレッチや筋トレで体を整える一方、舞の稽古ではどういう動きをすれば痛くないか、上半身が揺れずに動けるかを模索しました。自分の体の調子とは関係なく舞台は巡ってきます。立つときに不安のある「安座」や、膝を立て替える動作がある「合シ」の型がある曲目は本当に不安でした。けれども稽古を重ねるうちに、「ここだ!」というところを見つけたのです。「重心の位置とその移動」が「腰の使い方」によって「ここしかない!」という動きを。
若いときに簡単に動けていたのは、本当の動きではなかったのです。「どっしり」というのは体重では無い、「重心の移動が腰でしっかりできることなのだ」と、歳をとり自分の体が思うように使えなくなって苦しんだ末にわかったのでした。
世阿弥が「時分の花」といっている「若いときの花は本物ではない」ということを身をもって経験しました。「簡単にできる」ということには落とし穴があるのです。見ている人が美しいと感じることの中には、演者の若さや見た目もあるとは思いますが、本当の美しさや表現は、演者の積み重ねた苦しさあってのことなのではないでしょうか。
師匠もよくおっしゃいます。
「観る人に本当に美しいと思われる型とは、やっている方にはとても苦しいものなのだ」と。その意味がやっとわかってきました。
「歳をとらないとわからない」これは芸だけではなく、人生そのものにも言えることかもしれません。