梅に思う

緑桜会の稽古会を毎年4月に催させていただいている山本東次郎家の能舞台(杉並能楽堂)は、自然光の中で昔ながらの能の雰囲気を味合わせていただける、私にとって特別の場所です。今年はコロナの蔓延で緊急事態宣言と重なり、泣く泣く会を中止にいたしました。

画像は「杉並能楽堂」より

その杉並能楽堂の玄関の脇に立派な梅の古木があります。いつもは会の用事で慌てて通り過ぎるだけだったのですが、一度だけ2月に伺ったことがあります。東次郎先生に寄稿をお願いした本(声の道場 2)ができあがったのでお届けするためでした。玄関の前で香りに誘われてふと横を見ると、一輪の白い梅の花が・・・。それも普通の花より大きく、凜として花びらを開いているのです。そのまま見上げると、他にも花は咲いていたのですが、それ以上に若い枝が何本も上に向かって真っ直ぐ伸びているのに目を惹かれました。

がっしりした根、幹、太い枝から天を射すように伸びる若い枝・・・。いつも拝見している山本東次郎家の姿そのもののような気がしました。先人の教えを受け継ぎ、年輪を重ねてきた狂言の家、そこから伸びる若い狂言師の方々、一番低いところに凜として咲いていた大きな一輪、
「これは東次郎先生だ!」

若枝の 太き幹より 数立ちて 花おおらかに 凜として咲く

その時の気持ちを素直に読んで、歌とは言えないものでしたが、恥ずかしながら東次郎先生にお送りしました。すると思いがけず、当時日経新聞に連載されていた先生のエッセイのコピーを送ってくださったのです。その文章を読ませていただいて
「やっぱり私が感じたのは、この梅の木の精だったんだ!」
と嬉しくなりました。

東次郎先生は、小さい頃からこの梅の古木がお好きだったそうです。

『・・・・・どんな寒さにも負けない凜とした花姿、門の脇の潜り戸を入った途端、別世界に迷い込んだような馥郁とした芳香に包まれる・・・・・』

若くしてお父様が急逝され、様々な試練がお有りだったときも、

『・・・・・悔しさに酒を過ごしての深夜の帰宅、潜り戸を入ると闇夜の中の優しい香りが心を慰めてくれた。凍える月の光を受けて闇に浮かぶ白い花、辛いこと悲しいこと、舞台の出来不出来、そして「今は我慢するしかないんだよな」、物言わぬ梅が応えてくれる気がしていつも語りかけていた・・・・・』
2015年1月17日 日経新聞連載「あすへの話題」より

私は5月に能「東北」を勤めさせていただきます。シテは和泉式部の霊なのですが、私はどちらかというと梅の精として捉えていて、厳寒の中に凜として咲く梅を感じて舞いたいと思っています。
私の下の娘は2月5日生まれです。ちょうど梅の季節だったので、和泉式部からとって「和泉」と名付けました。梅のように凜として生きてもらいたいと・・・。ですから「東北」はいつかは舞いたいと思っていた能なのでした。娘の名前を付けた当時は東次郎家の梅のことなど何も知らずにいましたから、「梅の精」で繋がった(私の中で勝手に)ご縁がとても嬉しく、ますます「東北」の能を大事に舞いたいと思うようになりました。

ページトップの画像は、速見御舟『紅梅』『白梅』山種美術館蔵(部分)

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