「申合せ」とリハーサル

6月の梅若会定式能で「自然居士」がありました。
つい思い出したのですが、師匠が演じられた「自然居士」の能には忘れられない舞台があります。

20年ほど前だったでしょうか。「自然居士」がNHKで放映される事になり、梅若の能舞台で撮影されることになりました。
能を演じる時、普段は会当日の前日、または何日か前に「申合せ」が一度あるだけで本番を迎えます。名のある能楽師の方たちであれば、「申合せ」は紋付袴で行い、面や装束は付けません。直後にそれぞれの役が気になるところを確認、所謂「申合せ」をして当日を迎えます。
歌舞伎などと違い、曲が決まると出演者それぞれが自分の稽古をして、出演者が揃うのは「申合せ」と本番のみ。また何日も同じ曲の公演を続けるということもありません。能は本当に一期一会の舞台なのです。

テレビ放映の場合、能の会を撮影して編集して放映される場合もありますが、その「自然居士」の時は、放映のための撮影をするということで、お客様無しの舞台でした。その為に映像をより良くするため、本番同様の面装束を付けたリハーサルを依頼されたとのことでした。
午前中にリハーサル、午後から本番という、演者としては同じ曲の本番を、一日に二回演じるようなことになったのです。能一番舞うのにはとてつもない体力気力がいります。大変なことだなと思いました。
通常であれば、シテの梅若六郎師とワキの宝生閑師は、何度もお二人で演じたことがおありの「自然居士」ですから、部分的な「申合せ」程度で本番に臨まれたかもしれません。

その日、私はたまたま楽屋のお仕事をいただいていて、二回とも見所(客席)横から舞台を拝見させていただきました。

能「自然居士」は、若き説法者自然居士が、亡き両親の供養のために自分の身を売った幼い娘を人買から取り戻す物語です。
娘の事情を知った自然居士は、岸を離れた人買い船を追いかけ呼び止め、娘が持ってきた身代衣を返し娘を取り戻そうとします。なかなか返してくれない人買と問答をし、腹立ち紛れに人買が求める無理難題の芸尽くしを次から次にして見せ、ついに娘を連れて帰るというお話。
そのシテ自然居士とワキ人買の丁々発止のやり取りが、緊張感もありとても面白いのですが、特に梅若六郎師と宝生閑師の気の入った掛け合いは天下一品、最高でした。一回目で堪能させていただきました。これはリハーサルではない……。
お昼を挟み(当然一度面装束は外されます)本番ということになりました。でも間違いなく午前中の緊張感のある舞台は本番そのものでした。
もちろんお疲れがあったとしても、名人お二方の舞台、二回目も充分面白かったですし、これを最初に観られた方や映像でご覧になった方は感激なさったと思います。けれども舞台で二回続けて演じられた演者の皆様、そして横から拝見した私達には、一回目のような緊張感が感じられなかったのは間違いありません。

やはり能にはリハーサルはいらない、「申合せ」でなければいけない。シテ、ワキ、囃子方それぞれの主張を「申合せ」でぶつけ合って互いの意思を知り、本番で勝負する。本番は「合わせるのではなくせめぎ合い」、その1回だけの緊張感が必要なのだ、ということがよくわかったできごとでした。

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