だいぶ前に私の主宰する「こころみの会」で山本東次郎先生にお願いして杉並能楽堂で「東西迷(どちはぐれ)」という一人狂言をしていただいたことがあります。 ある山寺に一人で住む出家が、懇意にしている檀家の毎月の供養の日に、千僧 […]
父の色紋付
私が能の囃子や謡や仕舞の稽古を始めたのは、両親の影響ですが、大学を卒業して福岡の実家に戻った時は、父は素人ながら師範の資格を持ち、何人もお弟子さんを教えていました。それまで私が見た父は自分自身のことには何も欲がないように […]
動中の静
私が中学生の頃、家には自分の部屋というものはありませんでした。古い日本家屋ですから部屋数はあっても襖で仕切られているだけで、ひとりで籠もって勉強をするという感じではなかったのです。私が「うるさくて勉強できない」と言うと、 […]
母の口ぐせ
朝から事が多く、とても忙しい日に、家に帰って休むまもなく台所に立ち、夕食の支度をして食事が終わり「ハーッ」と一息つくことがあります。そんなとき思い出すのが母の口ぐせ「ドンドーンとなった」です。母はこの感じを他の言葉には言 […]
人の心を種として
私は小さい頃、母からなにかのたびに短歌や俳句を聞いて育ちました。母の歌だと思っていた私は、大きくなってから母も女学校時代の先生や祖母から聞いた歌だと知り作者を調べました。 私がしなければいけないことを「明日やる!」と言う […]
能と日本画4
上村松園は美人画で有名ですが、その絵には美しいだけでなく、凛とした強さと品格があり、特に女性のファンが多いように思います。もちろん私も大好きです。能に題材を取ったものも多く描かれています。 ある展覧会で「花がたみ」を観た […]
絵本で読む古典文学
世阿弥は能を作るときの心得として「古典の物語や歌を題材にするように」と書いています。実際、現代上演されている能は、源氏物語、平家物語、伊勢物語、万葉集、古今和歌集などから題材を取ったものが多く、特に源氏物語と平家物語は群 […]
うきはの春
梅若会では、師匠から会の名前をいただくとき、当主名の六郎の六を緑という字に置き換えて、その一字を上にして決めていただきます。下の字は名字や名前の一字であったり、何か思いのある字を使わせていただくのです。私の場合、山村の「 […]
能と日本画3
小林古径は大好きな日本画家のひとりです。随分前に生誕110年を記念した特別展を観に行ったことがあります。若い頃から亡くなるまでの数多くの作品を展示してありました。花鳥画も静物も人物画ももちろん素晴らしかったのですが、どう […]
能と日本画2
随分前になりますが、「日本画近代化の旗手たち」という展覧会を観に行ったときのことです。 梶田半古の「菊慈童之図」という絵がありました。岩に寄りかかるようにして遠くをボーッと見ている慈童はなんだか物悲しげに見えました。 「 […]