柱が作る三間四方

だいぶ前に私の主宰する「こころみの会」で山本東次郎先生にお願いして杉並能楽堂で「東西迷(どちはぐれ)」という一人狂言をしていただいたことがあります。

ある山寺に一人で住む出家が、懇意にしている檀家の毎月の供養の日に、千僧会(せんそうえ)という華やかな法要に招かれ、どちらに行こうかと迷いに迷います。その結果どちらにも間に合わず行けなくなり落ち込みますが「何もなかったと思えばいいや」と気を取り直し「面白い一日だった」と夕陽に手を合わせて終わります。その出家の一日を能舞台に一人だけで演じられるのです。


本当に素晴らしい狂言でした。橋掛かりと舞台が十分に使われ、いろんな場面、誰にでもある人間の心の動きが見えて、最後には自然光が入る杉並能楽堂に本当に夕陽が差し込み、名演と能舞台の広がりに感動ひとしおのひとときでした。

催しの後の打ち上げの時、東次郎師にお話を伺いました。
先生は、4本の柱に囲まれた三間四方のこの空間ですべてを表現するのだとおっしゃいました。目付の柱が邪魔のように思う人もあるかもしれないけれど、この柱を含む4本の柱に囲まれているからこそ表現の広がりがあるのだと。新しいことをするときも、この空間から飛び出すのではなく、できればこちらに引き込みたいものだとも……確かそのように伺いました。

本当に能舞台というのはよくできていると思います。揚幕を出て橋掛かりから繋がり、見所(ケンショ観客席のこと)に張り出した三間四方の舞台…。能も狂言も名人が演じられると、本当に舞台が広がり変化し、そして奥行きのない平面の舞台では有り得ない、見所との空気の一体感が感じられるのです。

何もないという能舞台の無限の広がり

私が能楽師になった頃、若い人から
「能は型にはまって自由がなさそう!もっと自由に動ける方が楽しいと思う」
と言われました。私はそのときは上手く反論できませんでしたが、今なら言えます。
「型があるからこそその中に自由がある」
「何でも好きなように勝手気ままにでは伝わらない」
「自分勝手な自由と自由自在は違う」

と。

三間四方の決められた舞台、4本の柱に仕切られたそういう空間があるからこその広がり。能にしても狂言にしても、その型というものをしっかり身に付けた役者が自在に謡い舞い囃す、能舞台上での気の表現。制約があるからこそ、そこに自由が在り、それが能や狂言を創り上げていくのだと思います。

その動きが空気に波紋を広げるこれが気の力か
山村庸子 五行詩集『能のひとひら』

仕舞を舞うときに、最初に教えていただく舞台の位置の名称が有ります。その位置と舞台を作る4本の柱には深い関係があります。

4本の柱とは、橋掛かりから舞台に入る所の「シテ柱」、その対角線にある「ワキ柱」、笛方が座る横にある「笛柱」、その対角線にある「角柱」です。「角柱」は能を舞うときに演者にとって一番重要になるので「目付柱」ともいいます。

ほとんどの能でシテは舞台に入り最初に「シテ柱」の内側の位置に立つのでその場所を「シテ座(または定座・常座)」といい、他もそれぞれ「ワキ柱」の内側でワキが座る定位置の前を「ワキ座」、「角柱」の内側の位置を「角(すみ)」、「笛柱」の内側で笛方の前の位置を「笛座」といいます。

その4箇所の座を繋ぐと、ほぼ舞台の半間くらい内側の正方形になります。その4辺の中央に、それぞれ「大小前」(シテ座と笛座の間)、「正中先」(角とワキ座の間)、「ワキ正前」(シテ座と角の間)、「地頭前」(ワキ座と笛座の間)、そして対角線の交わる舞台中央は「正中」と名付けられています。

このように舞台を作る4本の柱は、舞うために重要な位置を決める基準となっているのです。

仕舞は、これらの位置を把握することから始まります。「大小前」から始まる仕舞は、ほとんどの型が、それらの位置の辺りで所作をするのです。もちろん静かな曲では少し内にとったり、強い曲では外へ出たりしますが、基本的には決まった位置があるのです。そしてその位置は幾何学的にいってもとてもバランスの取れた位置なのです。

能舞台は前からも横からも斜めからも観客の目があります。どこから観てもバランスが良く美しいという位置が、何百年もかけて定まってきたのだと思います。師匠からも
「決まった位置は大事にしなさい」
と教えていただきました。
舞台側から自分の好き勝手な位置で自由に動くのは、舞台の魅力を半減することになるのではないかと思います。

計算の上ではなく、人の感性で培われた広さや位置や型、それが理に適った物として、三間四方の能舞台として今此処に在るのです。凄いとしか言いようがありません。

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