私は小さい頃、母からなにかのたびに短歌や俳句を聞いて育ちました。母の歌だと思っていた私は、大きくなってから母も女学校時代の先生や祖母から聞いた歌だと知り作者を調べました。
私がしなければいけないことを「明日やる!」と言うと
「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」
親鸞上人が得度を願ったときに作られた歌だとか。
母が忙しかったり、周りに大変なことが起こったような時には、自分を鼓舞するかのように
「憂きことのなおこの上に積もれかし 限りある身の力為さん」
歌の作者は熊沢蕃山とも山中鹿之介とも。
忙しい一日が終わって床に就く時には
「寝るより楽はなかりけり 浮世の馬鹿が起きて働く」
江戸時代の狂歌師、太田南畝(蜀山人)の作と。
私がわがままを言うと、恵まれていることを感謝しなければと言いたかったのか
「雪の日やあれも人の子樽拾い」
安藤信友の作。「樽拾い」とは酒屋の丁稚が酒代を集金することを言ったそうです。
作者を調べてはみましたが、歌は作られて世に出たら一人歩きをし、いろんな人の心の中で、育っていくのだなと思いました。誰が作ったなど関係なく、子供の私には母の言葉として知らないうちに心に刻まれている。時には作られた意味と違っても人の心の糧になっていることもある。母にしても、学問として覚えた歌ではなく、祖母や学校の先生に言われて胸に刻まれた歌なのだと思うと、日本人にとってこの七五調は、人の心を繋ぐとても大事なものだと改めて思いました。
「面白きこともなき世を面白く すみなすものは心なりけり」
これは、やはり退屈がったり文句を言ったときに母に言われた高杉晋作の辞世の歌なのですが、私も娘たちを育てるときに同じように使いました。自分にも言い聞かせるために紙に筆で書いて壁に貼っておきました。そのためか、この歌は娘たちも覚えているようです。何か起こったとき、心の持ち方を変えることで乗り切れたらいいな、と思っています。下の句は後で付けられた、という説もありますが、そんなことはどうでもいいのです。人の心に響けば…。
能は七五調オンパレードです。万葉集、古今和歌集などの歌も数多く出てきます。一首の歌をもとにして作られた能もあります。謡の稽古を始めて謡の中に百人一首の歌がいろいろ出てくるのでびっくりしました。学生時代は古典には興味がなかったのですが、子供の頃に親兄弟で百人一首をして遊んだ中で覚えていたのです。
能楽師になって、生活の中に七五調が当たり前にあったのは幸せだったな、と今更のように思いました。
紀貫之の古今和歌集の仮名序の始まりに
「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」
とあります。
歌と言葉は切っても切れない関係です。
「人の心を種として」「人の心に響くとき」「人の心の糧となる」
確かにその昔、作った人の心を種とした歌が後世の人の心に言葉として響き、また次の世の人にその言葉が歌とともに伝わり心の糧となる。勉強として読む歌と違い、日常で人から人に言葉で届くと、より心に残っていくのは間違いないと思います。