能のデッサン

「仕舞は能のデッサン」とよく言われます。
私も「能と日本画」で能と絵画の繋がりを取り上げていますが、絵画において、まず形を的確に捉えるデッサンの修練は、能においてはその芯を形造る仕舞の稽古に当たると思います。

若い頃、いろんな方の仕舞を見て、「上手だな」と思うことは何度もありました。その中で「綺麗!」とか「格好いい!」というのとは別に、「空気が違う」と感じる仕舞があることに気づきました。後で考えたらそれが仕舞から能へ繋がるものだったのです。

最初に習う仕舞は能の一部だとはわかっていても、その部分だけを覚え舞い謡うので、出来上がりはそこで完結です。どういう役を舞っているかは頭ではわかっていても、まずは師匠の真似をし、技術を身に付け、その仕舞を仕上げることで精一杯です。神男女狂鬼、いろんな役の仕舞を何回も舞うことによって、だんだん表現ができるようになってきます。


そうやって上手になってきた方はたくさんいらっしゃいます。それでも「空気が違う」という舞は玄人の中にも師匠をはじめ数人の能楽師にしか感じませんでした。
それがどうしてなのか…少しわかった気がしたのは初めて能を舞ってからのことでした。
面、装束を付けて、その制約の中で動くことは、紋付袴だけで舞う仕舞での動きがしっかりできていなければできません。また、一曲を通してその役になりきらなくてはなりません。それは頭ではわかっていました。でも、実際に面を付けて視野が狭くなると不安で見えるものを確認しようとしたり、装束をつけての仕舞に無い動作(袖を掛けたり)をするときはそれに気を取られたり、完全に自分になってしまうのです。


それが気にならず、自然に動けるようになるには稽古を重ねる以外にはありませんでした。それが能を舞う体幹を鍛えることにも繋がるのだと思います。
そういう体験があって曲がりなりにも最初の能を舞わせていただいてからは、仕舞に対する考え方が変わりました。


目を瞑って運びの稽古をしたり、面を付けているつもりで目が動かないように気をつけたりしました。この仕舞は能ではどういう装束を付けるのか、ということを確認するようにもなりました。着流しなのか大口(固い袴のような物)なのか、唐織なのか長絹や舞衣のように薄手で袖の大きい物なのか、着る物によって足の運びや手の動きも変わってくるからです。
それを意識するようになってしばらくして、「熊野」の舞囃子を舞った時、ある方から
「能を見てるようだったよ」
と褒めていただいたのが嬉しかったこと、今でもよく覚えています。

能を舞ってからの仕舞の稽古、これが「能のデッサン」を意識して始めた最初だったのかもしれません。もちろんそれまでの稽古での基本がなければできないことなので、前も無意識でデッサンをしていたわけですが…。

玄人に取り立てていただいて、最初に梅若会の定式能の申し合わせで、師匠の舞台を拝見させていただきました。申し合わせは面も装束も着けずに紋付袴でなさるというのも初めて知ったのですが、その衝撃は今も忘れられません。装束を着けていらっしゃらないのに、装束が見えるのです。仕舞と同じ姿なのに袖を返す、直すなどの所作が自然なので装束の袖が見えてくるのです。また、お顔そのものが面のようで、「これが完璧なデッサン、これができて初めて仕舞に能が体現できるのか」と理解できました。
師匠の仕舞に「空気を感じた」のは当たり前に「能を纏って」いらしたからだったのです。

それからの私の目標は「能が感じられる仕舞を舞うこと」
になりました。
能楽師としてのスタートが遅かった私は、そうそうたくさんの能を舞うことはできません。まだまだ装束や面を付けて自然に舞うこともできません。でも実際に面や装束をつけている感覚はわかるので、仕舞を舞うときにその想像力を働かせることはできます。お弟子さんに能そのものをお教えすることはできないかもしれませんが、私の体験から目線のこと、装束のことも伝えて仕舞と能を繋げて行くことはできるかもしれません。能を舞う体幹を育てるために私が日頃やっていること、それを能エクササイズとしてお教えすることでいくらかでも伝えていけたらと思っています。

能を舞うための体を作るために日々努力を続けていますが、それでもいつかは歳をとって体力的に能が舞えなくなる日が来ると思います。そうなったとき、自分が仕舞を舞いながら能を感じられたら、また観ている方に能を感じていただけたら幸せだろうな、と思うのです。

形残らぬ
美を
創り続ける
足の
運び
扇が
身体の一部となって
宙に
線を
描いてゆく
山村庸子 五行歌集「能のひとひら」より

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