平成8年に福岡で初めて自分の能の会を立ち上げさせていただいて、その二年後東京の梅若能楽学院で二回目の会のときに、まだまだ私には難しい「隅田川」をお許し頂きました。必死でお稽古した上で、師匠にも二度(いつもは一度)見ていただき、師匠地頭のお地謡や、お囃子の先生方にも助けていただき、どうにか演じ終えることができました。
その折の師匠の教えで一番心に残っているのは、考えたら当たり前のことなのですが
「一曲を通じての一貫した人物像を演じること」
でした。隅田川の場合、子供の行方を探し求める母親ですが、私の場合
「その時々の場面それぞれを言葉で演じている、場面ごとの繋がりがない」
と言われたのです。
「場面ごとに感情が表現できても一曲の中に、ひとりの母親としての感情の繋がりがないとだめだ」
ということでした。
例えば登場したときは、まだ子の死を知らない母親のはずなのに、始めから悲しみすぎている、そのために子を探し求める狂おしさが見えない。だから船の中で船頭の話を聞いて徐々に、子供の死を知るくだりがただの演技になるのだと…。
「同じひとりの母親なんだよ。その思いが時間の流れの中で変わっていくんだからね。その時々を演じるだけでは同じ人物を演じていることにはならないんだ」
確かに私は先の流れを知った上でその場その場で演技をしていました。我が子を探し求める一貫したひとりの母親になりきっていませんでした。
本番でどの程度できたのかはわかりません。けれども師の教えはしっかり身に残りました。
「一曲を通じて一貫した人物を演じる」
当たり前のことなのですが、素謡でも同じです。謡をお弟子さんにお教えするとき、とても大事にしています。
「楊貴妃」のお稽古をしていただいたときの謡のお直しでは、発音の大事さを教えていただきました。
「タ行やカ行は強くて固い音だから、こういう曲では特に気をつけて内に取りなさい」
このことから、いろいろと気づきがありました。
「葵上」を稽古していて「火宅の角をや」と謡うときカ行とタ行が多いのに加えて母音が「ア」の文字が続くのが謡いにくくて、いろいろ研究しました。どうも口を縦に開けると言葉が崩れる気がして師に質問したのです。
「先生、母音のアを発音するとき、口は横に使うのでしょうか?」
するといとも簡単に
「そうだよ」
と…。
それから師が謡ってらっしゃるとき、よく見ていましたが、確かに口はほとんど縦に動かないのです。そしてそうやって謡うと強い子音が表に出ず、言葉が自然に発音できるのです。
「和の発声」「和の発音」このときの意識が、後々「声の道場」に繋がったのは言うまでもありません。
その他にも、舞に関しては「扇にノル」「腰で回る」「反動で動かない」「面の目で見る」「舞台で自分にならない」などなど、常に気をつけて身に着けなければいけないこともたくさん教えていただきました。
第三回の「こころみの会」の企画で謡について先生にお話を伺ったとき、私の中に一番残ったのは「上顎に息が当たった瞬間引くんだ」というお言葉です。その時は「どういうことだろう?」と思ったのですが、後々の和の発声を研究する上でその意味がよくわかり、本当にありがたいお話でした。
「お客様が観て美しいと感じられる型は演じている方は苦しいものだ」
「舞台で立つ決まった位置は、前からも横からもバランスの取れた幾何学的な位置だから大切に」
「構えは腰を中心に前後左右上下、あらゆる方向に気を広げ、動きには必ず反対方向の抵抗を」ということも折につけお直しいただきました。
「声の道場」を始めて、これらの教えは舞だけでなく、謡でも同じだということに気づきました。能でお直しいただくことは、すべて仕舞や謡を稽古するにあたって大事にすべきことだったのです。
これらの教えを誰かに伝えていくことが、私にとっての伝承ということなのだと思います。今の私の力で能そのものの伝承は難しいのですが、謡や仕舞で少しでもお弟子さんに伝えていけたらと思っています。
「お弟子さんのお稽古で謡ったり舞ったりするときは、自分の稽古だと思って本気でやりなさい。楽な稽古をすると間違いなく自分の芸が落ちるよ」
この言葉も肝に銘じて取り組んでいきたいと思っています。
今年ももうあと少し…。最後に師匠からの教えを反芻して新しい年を迎えようと思います。