私は能エクササイズで、「和の構え」をお教えするのに「上半身を動かさない」ということをいつも言っています。
テレビを見ていても画面に出てくる人の姿勢のことが気になるのですが、いわゆる「姿勢が悪い」という人以上に、胸を張り肩を揺らして歩く人が気になります。そう多くはないのですが、俳優さんだったり、政治家だったり…。「肩で風を切る」というのでしょうか、どういうわけか見ていてなんだか虚しい気持ちになるのです。
「肩で風を切る」とは「勢いがあってグイグイ進む」というようなときに使われることが多いのですが、私がなぜ虚しい感じになるのか気になり、「肩で風を切る」を検索してみました。すると面白い記事にヒットしたのです。それはある雑誌でいろんな質問に有名な方が答える、というコーナーだったのですが、その記事は「この頃の日本人の視線を落とした気力の無い歩き方が気になるがどう思うか」というお尋ねに武田鉄矢さんが答えているものでした。
武田鉄矢さんは若い頃テレビで見た自分の歩き方が姿勢が悪く変だったので、顎を引き胸を張って歩くことを心がけていたそうです。けれどもある程度の年齢になったときに、無理をせず「立派な老人の歩き方」に変えようと思われたとか。それは「肩に力を入れず、手を振らず、おへそから出る糸に引かれるように歩く」という歩き方でした。現代のいい歩き方とは言えないのかもしれないけれど、そうして歩くととても楽だったと述べてありました。
その歩き方は実は古武術の歩き方から学んだもので、その歩き方だと体全体がどんな状況にもすばやく反応でき、疲れないのだということです。
「おへそを糸で引かれるように」というのは「腰から歩く」と感覚が似ています。「手を振らない」というのも「上半身を揺らさない」ということに繋がります。武田さんの言われる「立派な老人の歩き方」とは実は「ナンバ歩き」といわれる「日本人の歩き方」なのです。
……その状態でお尻を後ろに突き出して前に刀を構えると剣術の達人の構えになる……とありましたが、刀を構えずお尻を後ろに突き出す(腰を入れる)だけだと、ほぼ「和の構え」となります。
そして「肩で風を切る」歩き方は、自分の強さを顕示したい「若者の歩き方」であり、もともと「西洋人の歩き方」なのだとも書いてありました。
確かに文化的なことから考えても、手を振り大股で歩くのは洋服のときは格好いいかもしれませんが、着物のときはそういう歩き方をすれば着崩れるし美しくありません。
「声の道場3〜人間力を取り戻そう〜」に寄稿いただいた中村尚人さんの「日本の機能的身体と文化的身体について」の中に次のような文章がありました。
……着物は着崩れを嫌い、体幹の回旋を起こさないような所作が必要となる。飛脚などは別として、腕を大きく振って闊歩することは、わざと着崩れさせるはみ出し者以外にはなかったであろう。本来人間は腕を振り歩幅を確保するため、ある程度大股で歩く動物だが、これ(日本の所作)は文化的に優位さをもたせ、身体を文化に合わせている。すると股関節の伸展や、足の蹴り、体幹の回旋は犠牲にされただろう。前傾し腰で押し進む摺り足や、拗じらない体捌きは日本独特の身体技法と言えるのではないか。……
肚を据え、表現を内輪に心の強さを重んじる日本の文化的身体では「肩で風を切る」というのは、あまりいい意味には使われてこなかったことでしょう。
私が感じた「胸を張り肩を揺らして歩く姿」の「虚しさ」は、着物をあまり着なくなって外側だけは西洋文化に馴染んだつもりの、現代の日本人の体の使い方に対しての違和感だったのかもしれません。