師匠(梅若 実師)の作られた新作能は数多くありますが、中でも「空海」は幾度となく再演され、好評を博しています。能楽堂以外の海外や国内のホールでの上演も多く、初演当時は時々楽屋の手伝いに伺わせていただいていました。
初めてサントリーホールで公演があったときは、申し合わせの前にホールでの下申し合わせがあり、客席で拝見していました。新作能ならではの声明や静かな場面での弱吟の謡は、鳥肌が立つような響きで、さすがの音響だなと思っていたのですが、謡が強吟になると、耳が痛くて聴くのが辛い状態になりました。
「どうしたんだろう?」
皆さん同じように感じられたらしく、後で
「ここでは強吟は無理だな。弱吟風に音を合わせよう」
と話してらっしゃるのを聞きました。
もともと音楽のためのホールは繊細な音、音階を活かすために作られています。能の謡は弱吟はまだしも、強吟に至っては音階ではなく、息を強く押したり引いたり、詰めたり抑えたりして謡うものですから、音として捉えると、ひとりひとり違うものなのです。ひとりで謡うときはいいのですが、地謡として何人かで謡うと、音楽としては不協和音になってしまう。その上残響音があるために耳が痛いほど聴き辛くなってしまう、ということだったのです。
能舞台ではひとりひとりの音は違っていても息が合えば、強吟はすべての声を含んだ太い柱のような幅のある力のある響きとなります。檜で作られた舞台、鏡板、船底天井のある能舞台は懐の深いすごい空間だなと思いました。
もともとは外で演じられていた能です。マイクもスピーカーも無い時代、離れたところにいる観客に面を付けての声でも言葉がわかるような、体を共鳴体にした独特の発声が磨かれていったのだと思います。また、武士に愛好されたことで強さも求められたことでしょう。その中で日本独特の息遣いが培われ、能の声「謡」は洗練されていった。それとともに、その謡い方を一番活かせる能舞台ができ、それをそのまま屋内に囲った能楽堂ができたのだと思います。
私は稽古で最初の頃お教えするとき、強吟の説明をするのに、例としてスポーツの応援を取り上げます。
「応援するとき、応援歌の時は音階があるけど、フレー!フレーとか、ファイト!とか、イケー!とかの掛け声を出すときは音階で音を合わせるとおかしいでしょう?息を合わせてお腹から強い声を出すと力の入った応援ができますよね。声を出すイメージとしては弱吟が応援歌、強吟は応援の掛け声みたいなものです」と。
強吟だけでなく、弱吟も息遣いが違うだけで、もちろん体を共鳴体にしたお腹からの発声です。音階があるようでも、音階ありきではなく、和の息遣いによって結果として音が作られていく、それが謡なのです。
サントリーホールでの体験は、能の謡、特にホールに収まらない強吟の魅力、また能舞台のすごさを改めて感じさせてもらえる出来事でした。