声を作らない

「声の道場」には、
「昔、謡の稽古をしていたけれど、なかなか声の出し方が分からずやめてしまった。発声からまた始めたい」
という方もよくいらっしゃいます。節もわかっている方が多いのですが、基本の呼吸、発声の稽古をしばらくして、ある程度自分の声を納得なさり謡の稽古に入ったとき、ある共通点があります。
皆さん、子方やツレを謡うときに、音階を上げ高い声で謡おうとなさるのです。
もちろんシテやワキ、ツレ、子方と位というものがあり、曲によってそれぞれの謡い方はありますが、自分の声と違う声を作るものではありません。謡の声はそれぞれの自分の調子を大事にした上で、息遣いで表現するのです。
「音の高低を意識的に上げ下げするのではなく、役の軽重をお腹に意識することで息遣いが変わり、結果として音が変わって聞こえる」
とでもいいましょうか…。
確かに能では子どもが子方を演じるのですから、高い声になります。ですが本来の役が子供ではなく帝など高貴な人物や名前の付いた人物を子方にしている場合もあります。素謡で謡うときに子方の役だからと、大人が子供のような声で高く謡うのには違和感があります。
私はその役柄、名前があればその人を演じるつもりで謡うように言っています。その役になり切れば自然にそれらしい音質の謡になる、というのがいいと思っています。
ツレやワキヅレなどでも、侍女や家来ということを意識すれば、自然に主人であるシテやワキより位は軽くなります。音階は関係ないのです。結果として高く聞こえるということはありますが…。

息を遣った声で自分の中心になる調子を掴んだら、話す声も楽になります。和の発声を伴う稽古では自然な自分の声を中心に息遣いで押したり引いたり、その息に声を乗せることで音質や調子が変わることを実感していただきます。
謡の声は息遣いの結果として変わるのであって、決して最初から音の高さを決めて出す声ではありません。「音階」ではなく「音質」が大事なのです。

謡を謡うとき、
「この高さでいいですか?」
と聞かれると私は
「謡は音階を決めて謡うものではないのですよ。自分の自然な声の調子でどういう役をやるかをイメージしてお腹から息を遣って謡う。その結果として音質が決まるのです」
と言っています。
とても難しいことですが、「声の道場」で自分の声を見つける努力をしてその延長で謡を始められた方にはわかっていただきたいと思って稽古をしています。それは一朝一夕にできることではありません。「謡としての自分の声」を何年もかかって求めていくことになります。息を遣ってお腹から謡うということをいつも意識していれば、徐々に呼吸筋が強くなり謡の声が出来ていきます。そうなればひとりで一曲を謡っていても、自然に役が謡い分けられるようになります。
もちろん謡をなさらない方にはそこまでは求めません。姿勢が直り自分の声で自然に話せ語れるようになれば、「声の道場」の役割は一応終わりですから…。

発声練習では自然に息に声を乗せられても、謡を謡おうとするときには音階を気にしてしまう、という方が多い。最初に音階で謡を習ってしまうとそうなりやすいようですし、子供の頃から西洋音楽に慣れ親しんできた今の日本人にはそれが当たり前なのかもしれません。
「私は音痴で音の上げ下げが掴めなくて」
という方には、
「かえってその方が謡の声になりやすいです」
と言っています。

謡はその字が物語っているように「歌」ではなく「語り」なのです。節が付いていてもあくまでも「言葉ありき」。そのためには音階を意識せず自分の声で、話すような発音をすることが肝要だと思っています。

普通に話す時もそうなのですが、
「声を作らず自分の自然な声で」
これが「声の道場」の基本なのです。朗読やナレーションなど声を使うお仕事や趣味でも、それが大切だと思います。
もちろん謡を謡うときもその延長線上なので、お腹に力がついてくれば自然に声の幅が広がり、いろんな役を演じることができるようになるのだと思っています。

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