先日、YouTubeで山本東次郎先生のお話を伺いました。狂言の解説の中でのお話だったのですが、とても感銘を受けました。能狂言はとても礼節を重んじているというお話の続きから、今誰もが気にしているソーシャルディスタンスの話題になりました。
昔から日本では相手を尊ぶために距離を保つという習慣があり、部屋で相対して座るときもテーブルなどはありませんから、礼節をもって壁と壁を背にして距離を取って対峙して話をするということが普通だったというお話。私が子供の頃でもお正月などの挨拶は親子であってもそうだったし、お客様がいらしても少なくとも畳一枚(一間)以上は離れて相対していました。普段からソーシャルディスタンスには慣れていたことになります。
新型コロナの蔓延の後、これまでの日常と違う生活習慣を付けなければいけないと言われていますが、昔の日本の生活形態を少し思い出し、「ウィルスを移されるから相手を避けて離れる」というのでは無く、発想を変えて「相手を尊重して距離を保つ」と考えたら随分気持ち穏やかに生活することができるのではないだろうか、というようなお話に大きく頷いてしまいました。
能や狂言には、どんなに興奮したり怒ったりしても、どんなに思いが溢れても、すぐそばで面と向かって言葉を交わすことはありません。間を取って見つめ合うとか、行き合う時に袖すり合うとかはあっても、地謡の言葉と相まって間合いや少しの動きで表現されます。映画や演劇で密着できない今、ラブシーンに困っていると聞きますが、「能の表現や日本的な手法を取り入れたらいいのにな」と思いました。
「能は引き算の芸術」とよく言われます。いらない物を削って削ってできあがってきた能は、お客様に想像していただいて成り立つ舞台です。演者は長い年月をかけて稽古を重ね、削られた分の型や動きを内に籠めた構えで、息を体に溜められるようにならなければなりません。また、謡う言葉を引くようにその体の中で発することにより、思いのこもった声がその体を通して響きお客様に伝わる。決して口から大きな声を押し出すわけでは無いのです。
あらゆる場所で「引いた声」「引いた動作」こういう物を研究するのはどうでしょう。謡や舞ではなく、話す声や日常の動作であれば難しいことはありません。顔が前に出ないように姿勢を正して話せば自然に「引く声」になります。「大きい声を出さない」ではなく 「姿勢を正して普通に話す」でいいのです。また、「引く動作」も普段の動作をするときに急に動かず、落ち着いて腰から動くように心掛けるだけで無駄な動きがなくなると思います。
多くの人がそう心掛けることによって、相手を大事にするソーシャルディスタンスが自然に取れるようになるのではないかと考えさせていただいた日でした。