父が仕舞をいつ稽古し始めたのかよく覚えていませんが、父の舞台を観るようになったのは、私が大学を卒業してからなので、父はもう60代半ばになっていました。娘の目から見てもなかなか風格があって、素人としては上手だったのではないかと思います。
その中でも私の目に焼き付いているのは「雨之段」(雨月)と「鵜之段」(鵜飼)です。どちらもシテは尉(おじいさん)で、とても風情のある仕舞ですが、若い人や女性には難しい演目だと思います。父には本当に似合っていて、父親ながら「格好いいなぁ」「おしゃれだなぁ」と思っていました。今でも目に浮かびます。当時は私がそういう曲を舞うというのは想像できませんでした。
12月19日(日)の梅若会に「鵜之段」の仕舞を舞うことが決まったとき、ふっと父の姿が浮かびました。松明(扇)を掲げ魚を追う姿……小鮎さ走るせぜらぎに偏みて魚はよも溜めじ……。
考えたら、私はその頃の父の年齢をもう過ぎてしまっているのです。素人であった父よりも舞台経験は豊富になってはいるはずなのですが、とても父のように舞える気がしません。
舞台は上手下手を越えて、その人となりが見えることがあります。面や装束をつけない仕舞はよけいにそれが顕著かもしれません。それが仕舞の醍醐味だとも言えます。そういえば父が言っていました。
「玄人はどんな曲でもすぐに舞えるかもしれない。でもその一曲だけであれば、素人といえど稽古を積めば玄人より味のある舞になることがある」
それは本当のことでした。
多くの素人会に伺わせていただいたとき、その舞台に向けてしっかり取り組んでいらした方の、素晴らしい仕舞を見せていただくことがよくあるのです。
反対に、何度も舞ったことがあるであろう仕舞を当たり前に舞っているために、技術はあっても味も素っ気もなくなっている玄人の舞台も見ることがあります。とても怖い落とし穴です。
玄人とは名ばかり、ということを自分に言い聞かせ、一つ一つの舞台を大事にしていかなければ、そこに「人となり」が見えてしまうということでしょう。
今回「鵜之段」を舞わせていただくにあたり、父にまたそれを諭されたのかもしれません。女性には表現が難しい仕舞でもあります。けれども男女を越えたところに「人となり」があるのだと思うようになりました。
父の教えを胸に、心して稽古を重ね、大事に舞台を勤めたいと思っています。