40歳で能楽師になって34年になります。その中で「もう能ができないかもしれない」と思ったことが三度ありました。
最初は46歳のときでした。猛暑の夏、突如経験したことのないような頭痛に襲われました。冷やしても薬を飲んでも治まらず、友人から「検査したほうがいい」と言われ、近くのCT検査のできる病院に行きました。
脳外科は他の病院から出向の若いお医者さんで、画像を見て「動脈解離だから薬を飲んで大事にするしかない」と言われました。なんとなく腑に落ちず、福岡にいる義兄が医学博士なので相談したら、症状を聞き「動脈解離なら大変だ、そんなことでいいわけがない。大きな病院でMRIでもう一度検査したほうがいい」と言われました。
頭痛はもう治まっていましたが、友人の知り合いの脳外科のお医者さんが多摩の病院にいらっしゃると聞いて紹介してもらい、MRIの検査をしていただきました。
その結果、「動脈解離ではない。細い血管に裂けた跡はあるが、それはもう治っていて大したことはありません。それよりこちらが心配です」
と画像を指し示されました。
そのときの症状とは関係なかったのですが、左目の後ろの辺り、Y字に血管が分かれるところに直径7mm位の動脈瘤ができていたのです。
「7〜10mmの物が破れやすいのですが、血圧が低いので今すぐどうということはないと思います。今のうちにクリップで留める手術もありますよ」
とのことでした。一応持ち帰り考えさせていただくことにしました。
その当時娘たちは中学3年生と1年生。上の娘は受験を控えていました。能楽師としての仕事の方は1ヶ月半後に「井筒」の能を舞うことになっており、もう番組もできていました。
血圧が低いとはいえ、能楽師として舞台に立っているときにどういう状態になるかわかりません。知らなければそのまま何ということもなかったかもしれませんが、自分がそういうものを頭に抱えているとわかった以上、どうしても舞台や稽古に「もし破れたら」という怖さは常に付き纏います。日常生活でもそれまでと同じようには行きません。考えに考え、クリップで留める手術をしていただくことを決断しました。一時期家族には迷惑を掛けるけれども、これから先のことを長い目で見たらそれが一番いいように思えたのです。決断するまで二三日かかったでしょうか。
確認のため、改めてカテーテルでの造影検査を受け、検査をしてくださった先生の恩師が家から近い大学病院にいらっしゃるとのことでご紹介いただいて、そこで手術をしていただくことになりました。
私の仕事のことなどをお話してご相談の上、「井筒」の能が済んで入院し、検査に2週間、手術後2週間、約1ヶ月の入院ということに決まりました。
その時点でなんの症状もなくなっていたので、師匠にも状態をお話しして無理がないように稽古を重ねさせていただき、どうにか無事に演能を終え入院しました。検査のための2週間という期間も時間が有り余るので、謡本に囃子の手付を写す作業を持ち込みました。手術にたいする不安な気も紛れるし、能からも離れずに済むし助かりました。脳外科の病棟では私のような手術は軽いもので、何もすることがなかったら、重症者の多い周りを見ていて気が重くなっていたと思います。
髪の毛を剃って準備、いろいろ説明を受けましたが細かいことは忘れました。手術は頭蓋骨左頭部を楕円形に切り外し、動脈瘤の箇所をクリップで留めてまた元通りに蓋をして皮膚を縫い合わせる、というもので8時間かかったそうです。姉夫婦には相談したものの、あまり家族に詳しい話はしてなかったので、その間待っていた主人や娘たちをどんなにか心配させたことでしょう。麻酔が覚めたときいろいろ質問されたらしいのですが、自分の名前を聞かれたのに長女の名前を答えたらしく、私も娘たちのことが気になりながらの手術だったと思います。
術後、一度熱を出したものの落ち着き、予定通り2週間で退院できました。しばらくは鬘生活、また、足腰の筋力が衰えていてリハビリも必要でした。翌年すぐの舞台も決まっていて体力が戻るのかどうか不安もありました。子どもたちのこともやることがたくさんありました。けれども心置きなく稽古ができる、子どもたちともぶつかり合える、その安心感でいっぱいでした。
頭痛がなかったら脳の検査をすることもなかったでしょう。また初めに腑に落ちる診断をしていただいていたら、セカンドオピニオンは考えなかったかもしれません。すべての成り行きがとてもありがたく思えました。
家族とともに能が私にとって切り離せないものだということが改めてわかり、間違いなく私の危機ではありましたが、それが試練となり腹が座って能楽師としての節目になった出来事でした。