ダブル鬘?

前回の「危機を節目に」で述べた、46歳のときに脳動脈瘤をクリップで留める手術を受けてすぐの頃の話です。

退院して2週間あまり…髪の毛を全部剃っての手術でしたからまだ1センチぐらいしか髪が伸びていなくて、外出時は鬘を付けていました。
当時シテ方の玄人にはなっていましたが、家が近いこともあって時々金春惣右衛門先生の所には太鼓のお稽古に伺わせていただいていました。手術後、ご挨拶を兼ねて12月半ばに伺ったときのことです。
先生は寒がりでいらして冬のお稽古場は暖房が効きすぎて、毎回汗だくになっていました。その日もお稽古の時にあまりに暑くなって我慢できず、とうとう
「先生!すみません!取らせてください!」
と鬘を外してしまいました。
先生は一瞬固まっていらしたようですが、すぐに笑ってお稽古を続けてくださいました。家族以外に坊主頭を見せてしまったのが人間国宝という…、今考えても赤面ものです。

それから一ヶ月後、福岡で小鼓の素人会がありました。「杜若」の能を友人が打つというのでシテをさせていただくことになっていました。術後あまり日にちが無かったのですが、トレーニングと稽古を重ねてどうにか間に合い、勤めさせていただけました。
太鼓は金春惣右衛門先生です。装束の間で鬘を結って装束を付けていただいていると、金春先生が通りがかりに
「庸子ちゃん、ダブル鬘かい?」
と声を掛けられました。周りの皆はビックリしていましたが、すぐに私が
「いえ、シングルです!」
と答えたので大爆笑でした。

能の女の鬘はまずピッタリした黒い帽子を被り、その上に頭の中央部分だけ型があって髪が付けられたものを載せ頭の形に合わせて結っていきます。私はまだその頃髪が伸びてなくて、普段には鬘を付けていたのでそれをご存知の先生(坊主頭を見せてしまった…)が声をかけられたのです。緊張の中でホッと肩の力が抜けたのを覚えています。
周りは人間国宝の先生から私が「ちゃん」付けで呼ばれたことにも驚いたようでした。実はまだ九州でお稽古していた頃、若いということもあり、両親がいたこともあり、皆さんから姓ではなく名前で呼ばれていて、先生方からも「庸子ちゃん」と呼ばれていたのです。東京ではめったに皆さんの中でそんな機会はなかったのですが、九州での会ということもあって昔の呼び方をなさったのだと思います。
50歳近いオバサンに向かって
「庸子ちゃん、ダブル鬘かい?」
皆さん驚かれますよね。楽しい思い出です。

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