21世紀の実学

10回目の「こころみの会」の企画をしたときに東京新聞から取材を受けました。
「こころみの会」の話の流れで、能を始めたのは大学を卒業してからで、慶應義塾大学時代にはボウリング部に所属していた、という話をしていたらそのことも記載されていました。
数日してその記事がきっかけでまた違う取材が入りました。慶應義塾大学で出版している「塾」という季刊誌からで、卒業生に話を聞く「塾員山脈」というコーナーです。大学で商学部に在籍し、ボウリング部に所属していた私がどうして能楽師に?ということだったのだろうと思います。卒業してから能に魅了された経緯や、40歳で玄人の能楽師になってからは能を舞うとともに、いろいろな企画をして「こころみの会」を主宰したこと、そしてその取材を受けた頃に始めたばかりだった「声の道場」の話などをしました。

その季刊誌が発行されると今度は慶應三田会の事務所から連絡がありました。東京三田倶楽部という慶應義塾大学ご卒業の方たちの月例昼食会があり、いつもゲストを招いてお話を聴くのが恒例だとか。そこで私に何か話をしてほしい、とお招きいただいたのです。
当日会場である帝国ホテルに伺うと、皆様とご一緒にお食事をいただいた後にお話をする、ということで、メインテーブルに案内されました。当時三田会の会長でいらした服部禮次郎さんのお隣、お向かいは東京ガス会長の安西邦夫さん、という思いがけないところに席が用意されていました。安西さんから名刺をいただき、私が
「申し訳ありません。名刺を持ち合わせていなくて」
というと
「いやいや、有名人は名刺を持たなくていいんですよ」
と笑顔で返され、冷や汗ものでした。(その後すぐに名刺を作りました)

私は、大学卒業後に能楽師になった経緯、能楽師として「和の発声」を求めている方のために「声の道場」を始めたことをお話しし、その中で日常の声に悩んでいる人のあまりの多さに驚き「日本人の声が危ない」という問題提起をしているという話をしました。こういう形は初めての経験でしたが、質問もいただきながら思ったより楽しく話させていただきました。
ずっと年上の著名な先輩の中で緊張してはいたのですが、どうにか喜んでいただけたようでした。お隣の服部会長が私の冗談にクスッと笑っていらしたのを見てホッとしたのを覚えています。せっかくのご馳走は何を頂いたか何も覚えていませんが…。

しばらくして、その時にいらしていた方からか「塾」を読んだ方からのご紹介だったか、続けうちだったので忘れてしまいましたが、今度は大学の商学部の先生からのご依頼があり、日吉キャンパスの大教室で商学部の1、2年生の授業をすることに…。
「21世紀の実学」という授業で、卒業生で活躍(?)している人に講師を依頼している、ということでした。大学時代は遊んでばかりだった私がどうして、という感じでしたが
「就職難の時代、悩んでばかりいる学生が多いので、卒業後の生き生きと過ごされた様子を話して、下を向きがちな学生たちに少し活を入れてください」
というようなことでした。
まあそれなら「実際に姿勢を良くして、しっかり声を出すことの大事さ」を伝えようと思い、後輩に元気を出してもらえるエールを送るつもりでいいかな、と依頼をお受けすることにしました。

授業当日、卒業して40年ぶりに母校を訪ねました。様子がまるで変わり、右も左もわからない感じでしたが、大教室に入ると、なんとなく昔が思い出されました。

私は、自分が大学時代とはまるで違う能の世界で生きていること、今「日本人の体や声が危ない」という問題意識を持って「声の道場」をやっていることを話して、いつものワークショップのように、200人くらいいたでしょうか、学生に姿勢を正させ、腹式呼吸を確認、そしてお腹からの声を体験させました。「体に響く声」は「心に届く声」になるのだから身に付けると、何をするにも絶対にプラスになると話しました。
そして大学時代は人生のほんの少しの期間なんだから、勉強でも部活でも遊びでも好きなことを精一杯やってほしい。先のことばかり考えないでその時その時を大事にしていると、きっと自分のしたい事が見つかる、というような話をしたと思います。
最後に私が好きな高杉晋作の辞世の歌
「面白きこともなき世を面白く 住みなすものは心なりけり」
と座右の銘
「成り行きを決然と」
の言葉を送って授業を終えました。
とても良く聞いてくれたし面白がってくれた、という実感はありましたが、さてどうだったかな?と少し心配でした。しばらくして先生が学生たちからの高評価の感想文(レポート)を送ってくださいました。先生からも
「私が思ったとおり、学生たちが元気をいただいたみたいです!」
という嬉しいお便りが入っていました。
全然勉強をした思い出がない大学の教室で教壇に立って学生相手に授業をする、という思いもよらぬ楽しい体験でした。

今考えると、新聞の取材から始まって慌ただしい一年間でしたが、とても面白い15年程前の出来事でした。
「21世紀の実学」
なんだかいい響きだなと思います。

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