見んこと清し

先日、出かける間際に小さなものを取り落とし、見つからないのでどこかの隙間に入ったかなと、いつもはほとんど動かさない重い棚を少し手前に引き出しました。
すごい埃やゴミ、そうなっていることは分かってはいましたが……見ると掃除がしたくなり、時間がないのに手を出してしまいました。その結果バスに乗り遅れ…。普段は気にもしていないのに、見たばっかりに。

「見んこと清し」
父がよく言ってました。私の実家は明治から大正にかけて建てられた家です。奥の座敷や蔵には何が入っているかわからない所も多くありました。人がたくさんいた頃はまだしも、私が大きくなった頃は掃除も行き届かなくなっていました。普段使うところの片付けだけで精一杯。気にしだすと他のことができなくなる。
「もう、見ないことにしておこう」
「見なきゃ無いと同じ」
という一種の悟りだったのかな、とも思います。
私のはそれとは比べ物にならない、片付けや掃除が苦手、というだけの話で「ちゃんと見なさい」と言われそうですが…。

ただ、何でも完璧にやろうと思うと精神的に疲れてしまう、ということはあると思います。やらなければいけないことの優先順位もありますが、時々「見んこと清し」の精神も大事なのかなとも思います。

人間の評価でも世の中が少しの悪も見逃せない、という風潮がある中「清濁併せ呑む」という言葉は死語に近くなりました。
日常生活では清潔を重んじるあまり、殺菌、消毒などが勧められ、これまた「水清ければ魚棲まず」ということわざもあまり聞かなくなりました。

何でも完璧を求めるような風潮が当たり前になると、生きにくい世の中になるなと思います。
「過ぎたるは及ばざるが如し」
生きていく上で、いい意味での「いい加減」は必要なのではないかな、と思います。

高校、大学と親元を離れていましたが、休みに実家に戻ると友達と出かけて帰りが6時か7時になるととても心配されるので「箱入り娘だね」と友達からからかわれていました。東京ではもっと遅く帰ったりもしていたのですが、それほど心配されなかったように思います。「見んこと清し」と諦めていたのかもしれません。おかげで学生時代を楽しく過ごさせてもらいました。

「見んこと清し」も上手に使いたいものです。私にとっては片付けられないことの言い訳になりそうですが…😅。

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