能の秘曲として「三老女」と言われる曲があります。流儀によって曲が違うものもありますが、観世流では「檜垣」「姨捨」「関寺小町」の三曲を言います。その他にも「関寺小町」に「鸚鵡小町」「卒都婆小町」を加えた三曲も年老いた小町を描いた最奥の老女物として大事にされています。
昔は能は男性しか舞えませんでした。その当時男性の体で女性をそれも100歳になるという老女を演じるというのは至難の業だったのでしょう。本当に能役者として全ての能を舞い最後に辿り着く曲だったのはよくわかります。
戦後女性能楽師が能を舞えるようになり、この頃は老女物の許しを得られる方もあります。
随分前になりますが素人の90歳近くの女性が「卒都婆小町」をなさったのを拝見したことがあります。何の欲もなく淡々と舞っていらして、本当に年老いた小町そのもののように見え、とてもよかった、そんなに大変そうに感じませんでした。
その時に思ったのです。もしかしたら女性にとっては、「木賊」や「景清」などの男性の老人を舞うほうが大変なのではないか。老女物は女性が本当に歳をとって素直に舞うと、それなりの曲になり秘曲ではなくなるのではないか、と。
ただ女性能楽師が玄人で修業して老女物を舞うということには違う難しさがあるのだろうと思います。演技をああしようこうしようと思うことが逆に生々しくなってしまうと能ではなくなる、という危険があります。それが出ないように能楽師として鍛錬した末でなければできない、ということはやはり至難の業かもしれません。
男性には老女を演ずる難しさはあっても、それまで培った能の体で生の女性が出るということはないわけです。どちらにしても難曲には違いありませんが…。
9月18日(日)の梅流会で、先輩の富田雅子師が「卒都婆小町」を演能なさいます。お許しがあってからコロナ禍の中、稽古を積んでいらっしゃいました。
「能楽タイムズ」のインタビューで、先生のお稽古のときのご注意を話していらっしゃいました。最初のお稽古で、
「生になりすぎている。生は誰にでもできるのだから、そこを能の表現として、技として見せないと」
とお直しをいただいたと述べていらっしゃいました。やっぱりそこが難しいのだなと納得しました。
私は今回は出演しませんが、梅流会にお運びいただければ嬉しく存じます。詳しくは「公演・イベント情報」をご覧ください。