「井筒」をもう一度

私が「井筒」の能を舞ったのは46歳になった秋でした。梅若会に所属して4回目の演能でした。
私にはまだ身に余る大曲をさせていただくことになり必死で稽古していた8月、番組も出来てチケットも売り出された時期のことです。それまで経験したこともないような頭痛に襲われ、冷やしても薬を飲んでも治まらず、近くの総合病院の脳外科でCT検査をしてもらったところ「動脈解離」と言われ、薬が処方されました。
いろいろ調べたり、医学博士の義兄に聞いたりしましたが、頭痛以外にはなんの症状もなかったことから「動脈解離ということはないのではないか、セカンド・オピニオンで別の病院で調べてもらった方がいい」ということになりました。
4、5日たって頭痛もおさまっていましたが、友人の知り合いの脳外科の先生を紹介してもらって、MRI検査をしていただきました。
「確かに頭痛の原因としては、動脈ではなく毛細血管が裂けた跡はありますが、それはもう問題ありません。それより心配なのは別のところに動脈瘤が見られます。確認のためにカテーテル造影検査をしたほうがいいでしょう」
と言われました。
この際はっきりしたほうがいいと、検査をしていただくことにしました。
その結果
「左眼の後、血管がY字に分かれるところに動脈瘤があります。大きさは7mm、7〜10mmがいちばん破裂しやすいけれど、血圧が低いから、すぐに危ないというわけではないです」
ということでした。
「破裂しないように、手術してその部分をクリップで留めるという方法もありますよ」

子どもたちは中学一年と三年、受験も控えています。どうしたものか考えました。悩むこと数日……決断しました。
能楽師として舞台に立つ以上、日常血圧が低いと言っても安心できません。そういう状態を抱えたままで平常心で舞う自信もありません。破裂してしまったら命は取り留めたとしても家族に負担をかけることになるかもしれない。先のことを考えたら破裂する前に動脈瘤をクリップで留める手術をしていただこう!

「井筒」の演能をどうしようかと師匠に相談したところ、
「稽古に無理がいかないよう、二度に分けて見てあげよう」
と仰ってくださり、そのまま勤めさせていただくことにしました。
演能の後に入院、2週間の検査の後手術、術後2週間、スムーズに行けば一ヶ月で退院、というスケジュールを病院で組んでいただきました。
師匠はじめ周りの皆様に温かく見守っていただいたおかげで、どうにか「井筒」を舞い終えることができました。
「もしかしたら最後の能になるかも」という思いもあり、いつも以上に集中した舞台になりました。まだまだ未熟な時期の「井筒」でしたが、家族の支えと周りの方の温かい気持ちに包まれて、緊張は極限でしたが、今考えるととても幸せなひとときでした。
その後すぐに入院し手術。無事に成功し、思ったより早く、1ヶ月半で舞台に戻ることができました。翌年の1月に決まっていた「杜若」の演能もどうにか勤められたのです。もちろん手術のために髪を剃った頭は鬘でしたし、筋力が落ちた足腰の鍛錬が必要でしたが…。詳しい経過は以前「危機を節目に!」にも書いています。

今回「こころみの会」で舞う曲目を決めるとき、28年前に特別な状態で舞った「井筒」を歳を重ねた今の自分にどう舞うことができるか、「舞ってみたい!」と思ったのでした。
能ではなく舞囃子ではありますが、これまで元気で舞台を勤めてこられたことの感謝も込めて「井筒」を舞い納めたいと思います。

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