前に「「腹」を考える」というシリーズでブログに考えを述べましたが、ふと思いついて
「ネイティブな英語の発音発声を日本人に教えようとする場合に、どのようにするのか」
を知りたくなり、「腹から話す 英語」で検索してみました。
腹式呼吸ができない人が多い日本人が英語を話す時、きっと口先になってしまうのではないか、通じにくいのではないか、と思ったからです。
とても興味深い記事がありました。
「英語は喉を開く」が「日本語は喉を開かない」とあったのです。それはネイティブな英語は息継ぎが少なく一気に話すので、発音に多くの息を遣うため腹式呼吸が必要だが、日本語はそんなに息を遣わなくても、文の途中で息継ぎできるため腹式呼吸でなくても話せるから胸式呼吸なのだ、というのです。
私が現代において「日本の声が危ない」と警鐘を鳴らしているのは、そこなのです。
多くの日本人が本来の「腹からの声」での日本語の発音ができなくなっているということに気付かず、当たり前のように
「口先で話すのが日本語だ」
と捉えられている、それほど日本人の息が浅くなっている…ということなのだと思います。
日本語を話すのに腹式呼吸がいらない、と決めて説明してあるのが何より悲しく、
「本来の日本語の発声にはしっかり息を遣うけれど、発音が口先でできるために息を遣わなくなっている」
ということにまず日本人が気づいてほしい。それが「声の道場」を始めて私が気づいたことであり、その警鐘を鳴らしたいがために「声の道場〜日本の声が危ない〜」をはじめ三冊の本を書いたのです。
「喉を開く」とはどういうことでしょうか。
ネイティブ英語は喉を開いたままで話すために息がいる。そのためには腹式呼吸が不可欠と、教えている方は述べています。文中では、喉を開くということをわかるように「あくびをする時に喉が開くので、それで感じをつかむ」と書いてありました。あくびをしようとすると確かに喉が開きます。その時は口も一緒に縦に開きます。英語の発音ならそれが正解だと思います。発音のために顎を縦に使う言語だからです。
けれども日本語は「声の道場」のワークショップや拙著の中で述べていますが顎は縦に開けず横に使います。縦に口を開けると顎が上がりやすく、それこそ子音の発音が口先の日本語では声が表に出やすいのです。ですから、そうならないように喉を開くためには
「あくびを噛み殺す」
という感じでしょうか。
誰しも大っぴらにあくびができないときに、少し下を向いて口を開けずに「あくびを噛み殺す」経験がお有りではないかと思います。その状態のときに喉は横に開いています。「喉を開く」といっても発声においての洋と和には違いがあるということです。
若い頃、謡を謡うときは「喉をしめないように」「もっと喉を開いて」という言葉をよく聞きました。
稽古を始めたばかりの頃は、どうしても一音一音発音しようとして、普通に話すように発音ができません。特に「あ」の発音は口を大きく開けやすく、息が漏れやすいので私もよく注意をします。戦後の発音練習で
「大きく口を開けてアエイウエオアオ」
などと外に向けて大きな声で練習させられた弊害もあるでしょう。
そういう時、口は開けても喉は締まっているので声は口先から外に出るだけなのです。
構えを決めて腹式呼吸の練習をし発音すると、声は表に行かず口から喉の中で響くようになりますが、その時に喉に力が入り締まっていると、体にまでは響きません。ここで「喉を締めないで」「喉を開いて」ということになるのです。日本語を話すときに喉を開くとどうなるのか、試してみましょう。
試しに、何も気にせず大きい口を開けて「あー」と言ってみます。外に向かって大きな声になると思います。
次に姿勢を正し顎を引いて「あー」、このときは顎を引いているのであまり口は開かないので、口の中で響きますが、声は小さくなります。響く場所が喉から口のところだけだからです。
最後に姿勢はそのままで、あくびを噛み殺すようにして(自然に喉が開いています)「あー」。
どうでしょう?声の響きが体の中に入って行く感じがしませんか?
今体に溜められている息に「あー」の声が響いているのです。そのまま声を出していると自然にお腹に力が入ると思います。慣れたらその状態で言葉を話してみる。そうすれば世阿弥の言う
「息の中に文字を言い放つ」
という意味が体感できるのではないでしょうか。
ただ最初は体にあまり息を溜められてないので、それほど響きは変わらないかもしれません。
その人の体によって、少し奥で響いている、胸で響いている、という感じでしょうか。
昔ワークショップで、私が顎を出して外に向かって「あーーーー」と声を出しながら顎を引いていき、最後に体まで引き込んで、声の響きや音質の違いを参加した方に聞いていただいていたことを思い出しました。
「「腹」を考える」の項で呼吸筋を鍛えることを書いていますが、お腹の力がついて息を多く溜められるようになると、声を表に出さずとも段々ボリュームを上げることも出来るようになります。
普通に話す言葉にも、朗読や演劇のセリフにも、感情が籠もるようになるでしょう。謡や地唄、長唄などの和の発声、囃子の掛け声にもいい影響が出てくるはずです。
日本語は息を遣わなくても話せてしまう。ただ軽く話すことで息を深くはできない。だからよけいに息を遣うことを意識しなければ、声も体も弱くなる、「日本の声が危ない」と警鐘を鳴らす所以です。
また改めて「喉を開く」という体験を「声の道場」や「能エクササイズ」で取り上げてみようと思っています。