以前「英国王のスピーチ」という映画がありました。
吃音に悩まされたイギリス王ジョージ6世が、言語療法士の助けを借りて障害を克服、国民を勇気づける見事なスピーチを披露して人心を得るまでを描いた映画です。
映画を見たわけではないのですが、内容を読んで「日本にもそういう話があった」と思い出しました。
江戸幕府三代将軍徳川家光公は、やはり吃音がひどかったのだそうです。将軍は多くの家臣の前で堂々と話さなければなりません。どうしていたのでしょう。
江戸時代、能は武家の式楽として重んじられていましたから、将軍をはじめ武士は能を嗜むのが当たり前でした。家光も謡や舞の稽古をしていて、謡の時は吃音にならずしっかり言葉になる。そのため多くの家臣の前で話すときは、謡の発声で話したのだといいます。
和の発声をお教えしていて気付いたのですが、姿勢を正してお腹に響く声で話すと、口の動きがとても自然になるのです。日本語はそんなに大きく口を開けなくても話せるということがよくわかります。
吃音になるすべての原因ではないかもしれませんが、外に向けて声を出そうとすると、顎が出て口を必要以上に大きく動かして話さなくてはいけなくなり、そのまま速く話そうとするとうまく発音できなくなり、人によっては吃音になる場合があるのです。早口言葉を顎を出して言うのと姿勢を正して顎を出さずに言うのとで試してみるとよくわかります。
口を早く動かすことができる人は、姿勢が悪くて顎が出ていたとしても、その話し方で音として言葉にはなります。体に響いてなくても声帯が強く大きい声が出ることで「いい声で言葉がはっきりしている」と言われるかもしれません。
戦後の発音発声の教え方は、「ア、エ、イ、ウ、エ、オ、ア、オ」などはっきり口を開けて大きい声で発声練習をし、言葉の発音も大きい声ではっきり話すという訓練をするのが主流だったのではないかと思います。それがうまくできる子は褒められ、人前で話すことに自信を持てたでしょう。けれども口を早く動かすのが苦手な子は緊張もあり、はっきり言おうとすればするほど言葉が詰まって吃音になってしまう。その結果人前で話したくなくなり、引込み思案になるということがあったのではないでしょうか。「そういう訓練は逆効果だったのでは…」と思うようになりました。
このことから、まずは姿勢を正し顎を引いてゆっくり話せば、ある程度吃音が治るのではないか、と考えています。
人前で話すのが苦手な子に、大きい声を出させようとしたり、早口言葉を練習させたりするのは逆効果だと思うのです。吃音がひどくなったり、人と話すのが嫌になったり、引きこもりの原因にもなるかもしれません。
「声の道場」にもそういう悩みのあるお子さんを連れていらした方が何人かありました。私は姿勢を正すこと、親御さんには無理に大きな声を出させないことをご注意しました。そしてなにか好きな文章や詩を、人に聞かせるのではなく、自分に向かって小さな声で読むことをお勧めしました。もちろん姿勢を正して。それを繰り返していると発音が自然になり、だんだんと話すのが楽になるのではないかと思っています。
友達に言葉がなかなか届かず、いつも聞き返されることが多いことで、人前で話すのが苦手になったという中学生の女の子が、お父さんと「声の道場」にみえたことがあります。まずは腹式呼吸を確認し、息に声を乗せる練習をしたあと、詩を作るのが好きだと聞いたので
「姿勢を正して自分に向かって作品を何度も朗読してみて。大きな声は出さなくていいからね」
とお勧めしておきました。二度ほど来て下さり、その後どうなさったか気になっていたのですが、次の年のお正月に
「友達から聞き返されることがなくなり、会話がスムーズになった」
と嬉しい年賀状が届きました。
日本語を自然に話すのに、「大きく口を開けてはっきり1音ずつ発音する」必要はない。それより「姿勢を正して息の中に言葉を放つ」その方が大きい声でなくても「相手に届く声」になるのです。ことわざや格言などを、または“ありがとう”や“ごめんなさい”などの日常会話を「外に向かって大きな声で言う」のと「顎を引いて自分の中に向かって強く言う」のとを試してみてください。どちらが心に届く声になるでしょう。
「大きい声がいいというわけではない」「小さくても心に響く声を」ということを、これからも「声の道場」で伝えていきたいと思います。
コロナの中でブログを始めるきっかけとなった最初の文章、「息の中に文字を言い放つべし」の中で日本語の発音について詳しく書いています。あらためて読んでいただけたら嬉しいです。
普段は吃音がひどかった家光が家臣の前で話すときには謡の声で話せばしっかり話せたというのは、腰を立て顎を引いた能の構えでお腹から声を出したからなのでしょう。自然な発音で息に乗った説得力のある声だったのではないかと想像します。日本語のスピーチのために「理に適った発声法」だったのですから。