40歳で能楽師として玄人に取り立てていただいてからは、公演のときに楽屋にいることが多くなりました。それでも見所から拝見したい能があると、チケットを買ってお客様側から拝見していました。
素人の頃と観方が違うのは舞台全体を見るようになったことだったかもしれません。後見や地謡の動きや所作が邪魔にならずに自然なことがいかに大切か、装束付の良し悪しで能自体がどう違ってくるのか…。自分がシテ以外で舞台に出るという立場も経験するようになったからかもしれません。
またその頃は間狂言にもとても興味を持った頃でした。
以前のブログ「間狂言」でも述べましたが、復曲能「重衡」の中で演じられたシテと間狂言の語りを聴かせていただいたときのこと。殆ど変わらない語りの内容だったのに、シテと間狂言の語りのこちらへの伝わり方はまるで違いました。シテの口で語られたのは本人の苦しさ悲しさ虚しさ、それは当たり前に直接心に響きました。それに対し間狂言の語りに感じたのは、第三者のシテに対する温かい思いでした。
能は、勝者より敗者にスポットが当たります。生前の罪で成仏できないでいるシテが昔の様子を語り舞い、ワキの僧に弔いを願うという能がとても多いのです。
前場では化身となって現れたシテがワキ僧に昔語りをし、弔いを頼み中入りをします。ワキ僧はそこに現れた、その辺りの人にその様子を語り昔のことを尋ねます。そこで「詳しいことは知らないが…」と語られるのが間狂言のひとつの形です。
もちろん普通の狂言のように動いたり喋ったりするものもありますが、ワキがシテを弔う形の能では、所の人である間狂言が正面に向いて昔語りをする事が多いのです。
能を観始めた頃は、前場でわかる話をまた間狂言が語るのは、シテが着替える間の時間を作るためなのかと思っていました。けれども「重衡」の山本東次郎先生の語りは、たんたんと語られる中に、心ならずも罪を犯すことになったシテに対する後世の世間の人たちの温かい思いが感じられました。それからは間狂言の語りというのは前場から僧の弔いへと繋ぎ、後のシテが弔いを受けて現れるための大事な役目なのだと思うようになりました。
この頃は自分の仕事に追われ、能を見所で拝見する回数はずいぶん少なくなりました。楽屋で嵐窓から時々は拝見できるのですが、間狂言があっているときは、中入りで楽屋が忙しい時でもあり、まず拝見することができません。
たまにしか見所で拝見させていただくことはないのですが、その中で最近、間狂言の言葉が自然に届いてこないと感じたことが何度がありました。声は大きいのにただ抑揚ばかりが聞こえてきて言葉がこちらに届かないのです。間狂言は前後を繋ぐ大事な役目だと思っていたのに、何か別のものが前後を分けているような、そんな感じさえしました。後半のシテがどんなに良くても、前場の印象が薄れてしまい繋がらない、そんな感じでとても残念でした。
改めて間狂言の大切さを感じ、本当に能は総合芸術だという思いを強くしました。