「花月」のこと

大分県日田にある岳林寺は、1342年に後醍醐天皇の勅願で、大蔵永貞により創建されたお寺です。
代々日田郡郡司であった大蔵氏は私の父方の先祖にあたります。 
岳林寺には創建当時の逸話として、能「花月」の物語に繋がるような逸話が残っています。近くには花月川という川が流れています。川の名が付いたのが能ができた前か後かは不明ですが…。

〈花月あらすじ〉
九州筑紫の国英彦山の麓に住む男は、七歳の息子が行方知らずになったため出家し、諸国修行の旅に出ます。
春の都で清水寺に参り、花月という少年にめぐり逢います。少年が小唄や清水寺縁起の曲舞などを舞うのを見ているうちに、自分の息子だと確信し、父だと名乗ります。
花月は羯鼓を打ち、七歳で天狗にさらわれてからのこれまでを語り舞います。そして父の僧と一緒に修行に出るのでした。

岳林寺には、南北朝時代に京都の仏師が製作した本尊、釈迦三尊像があり、足利尊氏に寄進された六面地蔵もあるそうです。
そのように京都との繋がりも多く、「花月」は岳林寺創建当時の話を元に創られた能ではないか…とお寺でも考えられている、と父が話していました。
もしかしたら当時お家騒動などがあり、大事な跡取り息子を京都の寺に預けていたのではないか。騒ぎが収まり永貞が息子を京都に迎えに行き、日田に連れ帰った後、岳林寺を創建したのでは……などと家族で想像を膨らませていました。
実際はどうなのか検証したわけではありませんが、我が家では先祖の能として、父が舞い、母が小鼓を打ち、私が笛を吹くという形で、大鼓を柿原繁蔵先生(私と母の鼓の師匠)にお相手していただき、舞囃子「花月」を舞台に出させていただきました。
私が玄人になって、靖国神社大祭で初めて舞わせていただいた能も、偶然ではありますが「花月」でした。父と母が喜んでくれたことは言うまでもありません。
「花月」は我が家の思い入れのある曲となっているのです。

この秋の楠森堂での追善の会でも、長くお稽古に来てくださっているお弟子さんお二人に「花月」の舞と小鼓を勤めていただくことにしました。大鼓を打ってくださる白坂先生は柿原繁蔵先生のお孫さんです。私は地謡を勤めさせていただきます。
きっと両親も喜んでくれることと思います。

関連投稿

検索語を上に入力し、 Enter キーを押して検索します。キャンセルするには ESC を押してください。

トップに戻る