強い息で謡う

梅若会別会能で梅若紀彰先生の「山姥 雪月花之舞」が上演されました。
私の大好きな能です。申し合わせも本番もできる限り拝見させていただきました。幕の内からでしたが、その大きさが伝わってくる、素晴らしい山姥でした。
桜雪先生は体調不良でお出ましになれませんでしたが、お客様に配られる師匠による演目解説に
「山姥とは、山の精とか山の気といった自然そのものの象徴ともいうべきものです。ではそれをどう演じたらよいのか、というと、正直説明の仕様がありません」
と書いてありました。

私も昔から本当にそう感じていました。師匠の山姥も拝見する他度に、まるで違うものを感じ、どれもが正解のように思えました。
今回の紀彰先生の山姥も、また別の魅力がありました。説明は難しいのですが、先生のいつもの舞台以上に、息の強さと気持ちの強さを感じ、それでいて荒々しくない、柔軟な重さというか…やっぱり言い表せません。見所で拝見していたら、そこから広がる何かが見えた気がするのですが…。

解説の中に、師匠が「山姥」の稽古でお父様から何度も「弱い」と注意を受けたというお話がありました。
「とにかく強い息で謡いなさい」
といつも仰ったそうです。
ただ大きな声を出したのでは言葉が客席まで届かない。すると、曲そのものの力が全く伝わらなくなってしまうのだと。

「声の道場」や謡の稽古では世阿弥の言葉を使い
声を息で外へ押し出すのではなく、息の中に文字を言い放つ
といつも言っています。
そう意識して稽古している内にだんだん腹が育ち、ただの大きな声ではなく、腹から響く強い声が、心が相手に、客席に届くようになると思うのです。一朝一夕にできることではありませんが、ずっと意識して稽古することが大事なのだと思います。

「息という字は自分の心と書く。息を使った声は聞く人に自分の心を届ける」


紀彰先生の山姥を拝見して改めて息の力を確信しました。そして伝承は外の形ではない、内なる息を掴むことにあるのではないか、とも感じました。


これからも「声の道場」や緑桜会の稽古で、自信を持ってそう伝えていきたいと思います。

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