「大きく」「高く」の落とし穴

女性能楽師にとって、いつも問題になるのは「謡」です。能評を見ても、よく「女声」とか「ソプラノ」とかの言い方をされることもあります。男性の腹の声に比較して言われると思うのですが、発声に関しては男も女もないはずです。
ただ楽器としての体は違う、それは間違いありません。けれども楽器としての体が正しく使え、お腹からしっかり謡えているかどうかが問題です。息がしっかり遣えていれば、男女という楽器の違いの差はあれ、謡としての表現ができると思うし、女声などという言い方はされないはずです。ただ相当意識して稽古しなければそうなりにくい…。
確かに女性に音楽的な謡が多いのは否めません。子供の頃の稽古は男女の差なく、ただただ大きな声を出させます。成長するにつれ男性は声変わりという時期をはさんで声が出なくなり、自然に腹の息を使わないと話せないし謡えないことを体で覚えていくのだと思うのですが、女性の場合は変声期がほとんどなく、声が出なくなるということがないために、息を遣う腹の感覚が掴みにくいのだと思います。
男性の先生方が玄人素人を問わず、女性が謡う場合に注意なさる時、「もっと大きく声を出して」とか「もっと高く」とか表現されるときがあります。お腹に響く声を持つ男性にとっては「もっと体に強く響かせる」ことであり「もっと声(息)を張る」ことだということが理解できますが、お腹からの発声ができてない人にとっては文字通り、大きな喉声になったり、声楽的な甲高い声になってしまうのです。せっかくのご注意が無になるどころか悪い方へ行ってしまうのです。
謡本の文中の節付で、上音になるときの記号はハルと付いています。文字通り息を張って謡えば調子が高く聞こえるのです。「大きく」と書いてある注意も時々あるのですが、それは大きい声で謡うことではなく「間を大きくシッカリ」ということなのです。
調子を上げるところにも
「高く」という表現はなく「引キ立テテ」などとあります。これも息を鋭く張ることです。
似たようなことですが「早く」「遅く」の表記もありません。「ハコブ」「ススメル」「シッカリ」「シメル」。
このように謡は「音階や速度」ではなく、「息遣い」で調子や運びを調整するものなのです。
ですから私は事あるごとに、
「男の先生方がご注意くださったとき、大きくは息を強く、高くは息を張る、に置き換えるといい」
と言っています。

女性能楽師が増えてきたとはいっても、未だに「謡は女には無理」という方もあります。難しいということは間違いありませんが、「どうしたら腹を使えるか」を絶えず意識し、構えを自分の物にできれば間違いなく謡になるはずです。
その上で、もともと体が違うのですから、結果として男性の謡と女性の謡は自ずと違ってくるわけです。それでも体に響く声は、聴く人に謡の言葉が息に乗った声の表現で伝わるはずだし、ドラマが生まれるのだと思います。
「大きい声」を出したり、「高い綺麗な声」を出して気持ちよく謡えたと思った時、それは謡にとっては落とし穴なのです。
聴いている人が心地良く感じる声は、謡っている人が楽に気持ちよく謡っている声ではありません。
腰や腹が苦しくなるほどのお腹を使った声で謡いきれるようになれば、聴いている人にも思いが伝わる響きになると思います。
そうやって謡った謡こそ聴く人に心地良さを感じさせ、謡い終わった方にも爽快感が残るはずです。

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