お声をかけていただいている囃子の素人会の番組が届きました。拝見したら「砧 前」の舞囃子に私の名前が付いていました。
26 .7年前に舞囃子で一度舞わせていただいたことがありますが、今思うとその頃はまだまだ「砧」を舞えるだけの力はなかったと恥ずかしくなります。その後、能のツレを何度かさせていただきましたが、シテとして舞う機会はありませんでした。
「たくさん素晴らしい先生方が出演なさる中、私でいいのだろうか…」
師匠も体調を崩されていて、お稽古を見ていただくことは難しそうです。
まずは昔お習いしたときの型付けを改めて見返しました。思ったよりたくさん自分で書き込みをしています。師匠もその頃の私には「砧」はまだ難しいと思われたのでしょう。稽古を見ていただいた時に、ご注意を事細かにしてくださったのだと思います。その書き込みを見ていたら、その時のことが思い出され、私が駄目だったところをお直しくださる声が聞こえてくるようでした。
「もう一度教えてくださっている。もう一回しっかり舞いなさい、ということかもしれない」
と気持ちが落ち着いてきました。
あまり期間はありませんが、しっかり稽古に励みたいと思います。
〈砧のあらすじ〉
訴訟のため京都に上り、なかなか帰ってこない夫(ワキ)を九州芦屋で待ちわびる妻(シテ)。三年経った頃に侍女夕霧(ツレ)が、もうしばらくは帰れないという夫からの伝言を持ち帰りました。
寂しさを募らせながらも妻は中国の故事に倣い 砧を拵えさせ、その打つ音が音が風に乗り夫の元へ届くようにと、思いを込めて砧を打ちます(砧之段)。
その後、その年の暮にも帰らないとの知らせを受けた妻は病に臥せり、そのまま亡くなってしまいます。(中入)
訴訟を終え、帰ってきた夫は妻の死を深く悲しみ弔います。蛇淫のために地獄に落ちていた妻の亡霊が、やつれ果てた姿で現れ恨み苦しみますが、夫の手厚い弔いに成仏していきます。
今回は前場の見所聞き所である「砧之段」を舞わせていただきます。本当に素晴らしい謡、舞なのですが、とても難しい…。
秋の風情と夫を待ち侘びる妻の寂しさ悲しさ、拝見拝聴の度にどうしたらこんなに情緒ある言葉や文が溢れるのだろうかといつも思わされます。
月の色風の景色。影に置く霜までも心すごき折節に。砧の音、夜嵐、悲しみの声、虫の音、混じりて落つる露涙。ほろほろはらはらはらと。いずれ砧の音やらん。
世阿弥は自分の自信作である「砧」について
「後世の人には、この味わいは理解できないだろう」
と評したそうですが、それは外れました。「砧」はその頃からずっと演じ続けられ、現代でも拝見する機会の多い人気曲となっています。
観てくださった方に、元の能に興味を持っていただけるような舞囃子が舞えたら……それが今の私の能楽師としての指標です。舞う機会をいただいてとてもありがたく思っています。