形と心

稽古場の物入れを整理していたら11年前の新聞の切り抜きが出てきました。
「芸の脇道」というエッセイで、「形と心を結ぶ輝きの能舞台」という副題。大槻文藏先生や梅若玄祥先生への取材、観能を通じての文章でした。
当時も惹かれたので切り抜いていたのだと思いますが、10年以上経った今の私には、初めて読んだように心に響きました。

能舞台という、たった三間四方の空間の中で、我々能楽師は身体が自然に動くまでにならなければいけない。その為には若い時分、地道な基本の修業を何年にもわたって重ねる。子供時代の修業の基本はひたすら師の動きを真似て動くこと、意味などわからなくていい。
お二人のお話はそのようなことでした。
筆者は「形より心が先なのではないのか…」という疑問を持たれたそうですが、その後大槻氏の老女物の能をご覧になったときに、動きのない時間の流れに月の光と老女の心情、冴え冴えとした空気を感じて、次のように結ばれていました。

肉体は嘘をつかない。対して心はしばしば揺れ動く。雑念や欲望の衝動に負けそうになる。
修練された肉体が形作る基盤、そこにおのづから心が入ってくる、その形と心が一体化したときに感動を生むのではないだろうか。
と……。

日本文化は「型から入る」とはよくいわれます。能でも狂言でも本来の形(型)が作られるまでの基本の稽古の積み重ね、子供の頃からの終わりのない修業が、三間四方の能舞台で自在に動ける体を作り上げる。それがあって自然に心が表現されるのです。
「型にはまる」のではなく、「型があってこその自由」
日本文化の真髄なのだろうと思います。

一生を通じて能を体現なさる先生方しか辿り着けない境地だとは思います。
ただそういう日本文化、特に能に携われる幸せを感じ、いかに基本が大切かを心に刻み、自分の稽古にもお弟子さんの稽古にも励みたい、という思いを強くさせていただきました。
時を忘れるひとときでした。

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