謡を稽古し始め、「橋弁慶」や「土蜘」など知っている話も多く、戦う場面も多かったので、ただ目一杯大きな声で謡っていました。「羽衣」や「紅葉狩」など弱吟の節が少しわかってくると面白くなり、つい何かしながら謡ったりすることもありました。
ある日、台所に立って夕飯の後片付けをしながら、
「時雨を急ぐ紅葉狩・・・・・」
と気持ちよく謡っていたら、父から
「鼻歌謡になっちゃうぞ!」
と注意されました。そうでした。私は景英先生の「体から体に響く声」に惹かれて謡を始めたのでした。それからは口先で軽く謡うことを一切やめ、「どうしたら体に響く謡の声になるだろう?」をいつも意識するようになりました。
お習いしていた鷹尾先生も発音や発声のことを厳しく直してくださいました。
「文字一粒ずつが真珠の首飾りの珠のように繋がっていて、それが薄絹で包まれている」
などという表現もされました。そのときは何となく聞いていたのですが、想像しても自分の感覚では捉えられず、よくわかりませんでした。今はそれが「息の中に文字を言い放っている状態」だということがよくわかります。文字(珠)と文字が切れず、くっつかず、息(薄絹)の中で繋がっている、それが「文字の粒が立つ」ということ、それが「言葉として体に響き相手に伝わる謡になる」ということだと体でわかってきたのは、つい最近のような気がします。
「すごいことを最初から教えてくださっていたのだな」
と改めて驚きました。
そういうことが、言われてすぐにできる訳はなく、自分でいろいろ研究し始めました。その頃読み始めていた世阿弥の著書から探して、謡に関する「声出口伝」なども読んでみましたが難しくてわかりません。仕方なく自分なりに考え「面を付けて籠もらないように謡うには」と、手で口を覆い謡ってみました。モゴモゴした声になります。面を付けて舞っているのだからと舞の構えをして謡ってみると、少し籠もらなくなりました。顔が前に出ないように、よりしっかり顔を体に引きつけると、言葉がはっきりしてきました。でも、いつも謡うような大きな声は出ません。そしてお腹が苦しくなるのです。ただ、声が手に籠もらない(息が表に出ない)という稽古をしばらくしていたら、体に響くという感じが少しずつわかってきました。その時わかっていたわけではありませんが、いつも能を舞う構えをして謡えば息が体の中に溜まり、声も口から出ないで体に響くということになります。構えが大事なのだということがわかった第一歩でした。
28歳のときに、初めて能を舞わせていただいたのですが、何度も面を付けて稽古をさせていただいたことで、少しだけですが「体に響く声」を自分で感じることができるようになった気がしました。
それから30年後に「声の道場」を始めるわけですが、改めて読み直した世阿弥の著書の中で「声と息について書いてある部分」がよく理解できるのに自分でも驚きました。若い頃に理解できなかったのは、自分の体が「謡を謡える体」になっていなかったからだったのです。
何もわかっていなかった当時の自分なりの研究と、能楽師になって能を何番も舞わせていただいたことで辿り着いた「声の道場」でした。
現在もたくさんの方が「声の道場」にいらしてくださっています。自分の声を見つけようと努力なさったり、謡の声を求めていらっしゃる方のお手伝いができるのは、最初に衝撃を与えてくださり、謡の魅力を教えてくださった梅若景英先生(現 梅若実先生)、発声の基礎のところでしっかり教えてくださり、研究材料を与えてくださった鷹尾真光先生(現 鷹尾祥史先生)のおかげだと心から感謝しています。