しょうが

小鼓から笛へ

掛け声の珍しさと、なかなか音が出ないという魅力にはまって小鼓の稽古を始めた私でしたが、そのうちに母に勧められて仕舞も始めました。これも「声を出さないで済む」と思ったからです。あとでシテ謡を謡わなくてはいけないことに気づくのですが・・・。

同じ頃に私より少し先輩の方で「笛の稽古をしたい」という方があり、また母に「家をお稽古場にして笛の先生に来ていただくから、一人では申し訳ないからあなたも始めなさい」と言われ、何となくお付き合いで笛の稽古も始めてしまいました。

あとで知ることですが、能の笛「能管」は簡単には音が出ない作りになっていて、結構息遣いが難しいのです。肺活量があるからといって音が出る物ではなく、音を出そうと思って一生懸命吹いてもなかなか音は出ません。笛を習いたかった方は一生懸命吹かれるのですが音になりません。一方私はあまりその気になっていなかったので、気楽にラムネの瓶に下唇をのせて「ボーッ」といわせるような感じで吹いたら(お行儀が悪いのですが瓶で音を出すのは子どもの頃から得意でした)、始めから音が出てしまったのです。何回かお稽古を重ねるうち、最初に笛を稽古したいと始められた方はお止めになってしまいました。先生は私一人のために来てくださり、私も音が出たことによって面白くなり笛の稽古にも熱中するようになりました。

音が出なかったから始めた小鼓、音が出たから始めた笛、今考えると能にはまっていく様子が我ながら面白いです。

その時の最初に笛を教えてくださった鈴木先生という方がまたユニークな方で、この先生だったから笛が面白くなったのだと思います。その方は玄人では無く、能の世界にもまだ入ってらっしゃいませんでした。私があとで教えていただくことになる能の笛方の松尾千代太先生と前からのお知り合いで、たまたま松尾先生のお宅で初めて能のテープを聴いて、その笛の音に驚嘆し、「この笛を教えてください!」と能も知らずに稽古を始められたらしいのです。そのテープで笛を吹かれていた方が「田中一次先生」でした。それからというもの必死で稽古をなさり、田中先生が東京から福岡へいらして出演なさる能を、笛を聴き指を見るだけのために欠かさず通って技術を身につけられたということです。ご自分がそうだったからでしょう。私に
「笛の音は出るから、指付け(指の押さえ方の記号)は書いてあげます。あとは田中先生の笛を聴いて自分で覚えてください。田中先生はその指付け通りには指は動いてないのでよく見て。唱歌(笛の音を口で表したもの)もオヒャーじゃなくてフオヒャーだから。」
とおっしゃるのです。そして「自分は能の他のこともよく分かってないから」とあまり長いことは教えていただけず、松尾先生にバトンタッチなさいました。松尾先生もとてもいい方でご自分も田中一次先生を尊敬していらしたので、私が鈴木先生の言葉通りに田中先生の真似をするのを大目に見てくださり、あろう事かご自分が田中先生から書き写させていただかれたという(秘)と書いたノートまで写させてくださいました。先々シテ方になって舞台では笛が吹けなくなりましたが、梅若六郎先生(現 実先生)のお弟子さんのお稽古の時に笛を吹かせていただいていた頃、とても(秘)の写しが役に立ちました。このお二人の自由なお稽古がいよいよ私を囃子の虜にしたのだと思います。

笛を吹いている姿

本舞台で笛を吹くことが無くなった私でしたが、ここ数年来、福岡県うきは市にある私の生まれた古い家の奥座敷(庭に向かって三方が開いている)で緑桜会を催すことになってから、時々笛や太鼓で囃子に参加させていただいています。昔から両親と「ここは能舞台みたいだね」と話していた場所です。すぐ近くの山裾に両親のお墓があるので、もしかしたら聴いていてくれてるかも知れません。

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