「こころみの会」と私

このところ、何回かに分けて「こころみの会」の挨拶文を並べ、その日付も添えていたら、それぞれの回の開催の間隔にだいぶ違いがあるのに気づきました。
最初と2回目の会は女性能楽師としての自分探しでした。何をどのような形で舞うか、舞台での着付けをどうするか、それをお客様がどう感じてくださるか、その模索の為に単発で企画した感じがあり、その間は1年と3ヶ月。先々続けて行くつもりもなかったと思います。そのせいか、二回目の番組も自分でパソコンで作ったものをコピーしたような稚拙なものです。今考えてみると先生方に申し訳なかったなと…。
三回目はサブタイトルが付いていませんが二回目との間が2年半空いているので、相当考えたんだろうと思います。謡や仕舞、舞囃子で平家物語を楽しんでいただく企画でしたが、前半に謡そのものにスポットを当てて、「私が聞き手になって師匠にお話を伺う」という大それた企画をしたために、何か私の中で変化があったのか、そこを境に会の雰囲気が変わった気がします。

それからはその回が終わった後に「次は何をしようかな?」と考えることがなくなりました。というのは三回目の番組を作っている最中に、「自分だったらこんな会が観たい!」という次の企画が頭に浮かんでくるようになってきたからです。次との間隔は1年5ヶ月でした。
第四回「能の囃子を楽しもう」では、満員のお客様の中で、会を主宰する充実感に充たされていました。同じようにその回が終わったときには、もう次の企画は決まっていました。それからはほぼ1年から1年半の間隔でコンスタントに続けることができました。

けれども「面白い企画をしたい!次は何をしよう」という気持ちは、第十回の番組を作っているときには、それ以上出てきませんでした。何だかすべて出し切った感がありました。
「こころみの会」で出会った本物の能楽師の方々を身近に知ったことにより、それまでの自分の甘さを知って、自分が今何をしたいかよりも、自分の内に目を向けるようになり、
「もっと能がわかる体になりたい、その体で舞いたい謡いたい」
という思いが強くなったのかもしれません。
また「こころみの会」途中からはじめた「声の道場」によって、謡の持っている本来の力に気づき、もっと多くの人にそれを知らせたいという思いが強くなったということもあったのでしょう。
今回「こころみの会」を振り返ったことで、それらの経験が今の私を作ったのだと、改めて気づきました。
「こころみの会」を開催していた13年間は、私を能楽師(異色の?)として成長させてくれ、そして今の私へ導いてくれた能楽師人生の中のかけがえのない期間だったのかもしれません。

能楽タイムズの対談をきっかけに、「こころみの会」を総括することができ、能楽師になってからの自分を客観的に見直すことができました。
また、時を同じくして日本能楽会から、これまでの能楽師としての働きを認めていただくような賞をいただきました。そして喜ぶ間もなく、長年私を支えてくださっていた方の突然のご逝去という悲しいできごとも重なり、悲喜こもごもの中で、これまた否応なしにこれまでを振り返ることとなりました。

今コロナ禍の中、どの分野でもたくさんの人がこれまでと違った生き方を強いられています。その中で「自分を振り返る」ということになったこれらの出来事は「能楽師として、表面は変わっても根底は変わらない、そんな生き方をして行きたい」と思わせてくれました。
すべてのことに感謝して前に進んでいきたいと思います。

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