扇

ついに謡へ

囃子の面白さに惹かれてだんだん能の世界に入り込んだ私は、最初の2年くらいで小鼓・仕舞・笛を習い始めました。やはり家が稽古場になっていたので始めた仕舞は、先生が早くから修羅物のような動きのある物をさせてくださったので、すぐに面白くなってきました。子どもの頃からお転婆で男の子に混じって野球をしたり、おもちゃで遊ぶのに人形よりは刀がほしかった私です。女でも扇を刀にして切ったり飛んだりできるのは、なかなか快感でした。けれどもまだ謡の稽古だけはその気になれずにいました。
ところが「これは謡を稽古しなくてはまずいかも」と思わされることと「どうしたらこういう声が出せるのか」と感動する出来事が重なり、ついに謡を始める決心をすることになります。

何度か仕舞で会に出していただき、「シテ謡を何句か謡うのはしかたがないか」くらいでただ大きな声で謡っていましたが、そのうちいろんな方の仕舞を拝見させていただくうちに、どんなに舞が上手でも、シテ謡がちゃんと謡えないと魅力が半減することに気がつきました。考えたら当たり前の事なのですが、やっと能がどういうものかわかってきた時期だったのでしょう。
一方で笛は最初に習う「中之舞」が吹けるようになり、小鼓のお稽古でも先生が
「少し早いけど笛がわかるから中之舞をしよう」
とおっしゃり、教えていただけるようになりました。するとどうでしょう、中之舞のところだけはすぐに覚えられ打てるようになったのです。謡のところはなかなか覚えられなかったのにです。
「そうか、中之舞は唱歌を知っているから簡単に覚えられるんだ。謡が謡えなければ鼓は本当には打てないんだ」
と気づかされたのです。

ちょうど同じ頃、能を拝見することがありました。いつものように笛の前に席を取り囃子を目当てに拝見していたのですが、初めて謡の声に衝撃を受け、シテに釘付けになりました。その頃の私は「謡はよく言葉の意味がわからないし、面でなんだかくぐもって聞こえる」と思っていましたが、その日のシテの声は、意味はわからないのですが言葉が明瞭で、面をしていても関係なく体から響いてくる感じがするのです。それは耳に聞こえるというよりはこちらの体に響いてくるようなとても心地よい響きで、しばらく聴いているとその能の雰囲気までもわかってくるような・・・。
「意味がわからなくても心に響く声ってあるんだ。どうやったらあんな声が出るんだろう?」
能を観て初めて囃子以外に気持ちが向いた時でした。今考えると「声の道場」の原点がここにあったのかもしれません。その時の能が「班女 笹之伝」シテは梅若景英、25、6歳歳頃の梅若実先生でした。

鶴亀

こういう出来事が重なり謡を稽古したいという気持ちが膨らみ、仕舞を教えていただいていた鷹尾真光先生(現 祥史先生)に謡のお稽古をお願いしました。そしてその奥深さにだんだん引き込まれていったのです。

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