例年通り靖国神社で奉納の仕舞で2022年が始まり、7日の朝は謡初めと初会の申し合わせのために東中野の梅若能楽学院会館へ向かっていました。前日からの雪がアイスバーンになっていて、歩き慣れた道なのに、少しの坂に足を滑らせお尻からドーンと落ちてしまいました。その瞬間能楽師の習性か思わず上体を前に掛けたために、地面に垂直に落ち、後ろにひっくり返って頭を打つことも、尾てい骨を打つこともなく、両方のお尻から垂直に落ちました。
腰にゴンッという衝撃があり、一瞬「能ができなくなるかも」と頭によぎりました。そばにあったガードレールに掴まりゆっくり立つと、どうにか立てました。「折れてはなさそう…」腰を徐々に伸ばして立ち、ガードレールを掴んだまま歩き出すと、どうにか歩けます。そのまま能楽堂へ向かいました。
どうにかその日を終え、帰りにいつもお世話になっている接骨院に行き診ていただきました。
骨には異常がないが、背骨の関節間の軟骨が圧縮されているので、痛みが取れるには時間がかかるとのこと、先生に「転び方としては上手だった方だね」と言われました。ただ、腰への衝撃は相当大きかったようで、その後徐々に痛みが強くなり危機感に襲われます。
いつも皆さんにお教えしているように、良い姿勢でいれば痛くないのです。ですから翌日の初会も普通に働き(少しは動き過ぎないよう気をつけましたが…)その次の日の初稽古も普段どおり済ませました。稽古の帰り道、いつものように夕飯の買い物をして歩いているとき、なんとも言えない違和感が背中に覆いかぶさってきました。
10日(月)にもう一度接骨院に行こうと思ったら成人の日でお休み…背中の違和感は増すばかりだったので、普段通っている鍼灸院に電話をしたら診てくださるとのこと、すぐに行きました。
腰の衝撃がだんだん上に来て筋肉が固くなっているだけだから、ということで2時間かけて鍼と指圧で治療してくださり、腰に置き鍼もしてくださいました。
その後しばらくは寝返りも打てず、腰を立てることもできず、やっと歩くという状態で、接骨院と鍼灸院に交互に通いました。常から骨の歪みは接骨院、筋肉などの血流は鍼灸院とその時の状態によって定期的に診ていただいています。その二人の先生を信じて治療を続けることにしました。両方通っていることはどちらの先生にも了承していただいています。
接骨院では骨盤を繋いでいる靱帯が緩んでいるので立ち仕事を長くするときはその補助に骨盤ベルトをすることを勧められました。関節間の軟骨が戻るまでは無理をしないように、とも言われました。
「整形外科によっては圧迫骨折と同じ様に扱われるくらいのレベルですよ。痛みが取れてきたらまたストレッチとトレーニングで戻せばいいから焦らないで」
鍼の先生は、私がネットで調べて「椎間板(背骨間の軟骨)は再生しにくい」と述べられていることを心配していると
「いや、西洋医学ではそう言うかもしれないけど、血流を良くして筋肉を柔らかい良い状態にすれば大丈夫、元に戻るよ」
と安心させてくださいました。まずは日常生活が戻ることだけれど、舞台で元のように動けるかが問題の私は
「お相撲さんが土俵復帰のために治療している感じに似てます」
と言いました。指圧中の先生は何もおっしゃいませんでしたが、指の圧がひときわ強くなり、叫んでしまうほどの痛さでした。私には
「我慢しなさい、絶対に治すから」
という返事に感じました。普段の稽古もやっていいか伺うと
「真っ直ぐしてるならやっても大丈夫!」
と言われ、その際には間でするようにと無理のいかないストレッチも教えてくださいました。いつもながら「体は常に対話しながら使いながら直していく」という対処法です。
20年前に膝を痛め、正座もできなくてもう能楽師としてやっていけないかもしれない、と思ったときにこの二人の先生に出会い、助けていただきました。接骨院の先生は私のやりすぎる性格をコントロールしながら、そのときに必要なストレッチと筋トレを、鍼の先生は常に前向きに自分の体に向き合い対話することを、教えてくださいました。
それからはストレッチと筋トレを一日も欠かさずに、自分の体と対話することを大事にしてきました。それは能エクササイズとも繋がってきました。
この20年で相当私の体は変わり、自信を持って「50代より70代のほうが元気で動けてる」と言えるようになっていました。ところが転んでからの一週間で、あっという間に腰回りの筋肉が落ちてしまいました。最初の3日くらいに動けたのはこれまで培った筋肉のおかげで動けていたのだということもよくわかりました。だいぶ回復してきた今は「このままでは痛みが取れても舞台には立てないぞ」という弱くなった筋肉の声が聞こえてきます。
「よし、もう一度体を作り直そう。いくつになっても年のせいにせず、体を作り直せることを体現したい!」
と思えるようになりました。
どうやったら、痛みなく動けるか少しずつ動かしながら、ゆっくり寝返りの方法を探し、起き上がる過程を試し、骨盤ベルトをして台所に立ち、どうにか日常生活をこなしました。
稽古は自然に良い姿勢をしようとするので、謡を謡うのは何でもありません。仕舞も激しく動かなければすり足は大丈夫です。ただ行き帰りのバスや電車は気をつけました。時間に余裕を持って出かけ、混んでない車両に乗り、座る場所を手すりのあるところを選び、浅く腰掛け腰を緩めないようにしました。駅の階段は不思議なことに平地を歩くより痛くなくて、スッと上がり降りできるのです。もしかしたら能エクササイズで教えている階段の上がり方が正解なのかもしれません。
一週間ほど、どう動いたら痛くないかを研究しながら動いていたら、結局能の動き方が一番良いということを確認することになりました。下の物を取るときも、自然に腰を沈めて取るのでなんのことはありません。「腰に無理をさせない」ということは「腰と体の動きを一つにする」ということに他ならなかったのです。痛みが取れたら、この経験を元に「腰から動く」ということを改めて推奨しようと思います。
鍼の先生がひとこと
「全ては腰から、ということを身を持って教えられるね」と…。
転んでから二週間が経ち、寝返りが打てるようになり、動きも随分楽になりました。「治りかけが危ない」と自分に言い聞かせて急な動きをしないよう気をつけています。
笑って自分の体験を例としてお話しできるよう、焦らず治していきたいと思います。