宇宙遊泳

能エクササイズ

私は今から14年前に、和の発声を体験していただくために、謡の稽古とは別に「声の道場」を始めました。そして2年前、今度は健康のために仕舞の稽古とは別に、能の体の使い方を体験していただく「能エクササイズ」を始めました。
 
能が江戸時代に武家の式楽として続いてきたのには、戦いが無い時代にも「武士としての強い体と精神力を養い維持するのに能が役立つ」ということもあったと思われます。人生50年と言われた時代、長寿の人を調べてみると、武将と僧侶が多いのがわかります。身分差のあった時代、職業的な体の使い方は身分によってまるで違い、日常的に姿勢正しく無駄の無い動きをする武士や僧侶は、当然呼吸も深くなり、そのことが健康に繋がったのだと思っています。もちろん食べ物の差もあったとは思いますが・・・。世阿弥も晩年は不遇だったにもかかわらず、当時としては驚くべき80歳という長寿を全うしています。

現代では誰でもやろうと思えば健康のためにいろんなエクササイズを習うことができ、スポーツやジムで体を鍛えることも、体操やヨガや稽古事も自由にできます。自分の体に目を向けさえすれば、何でもできるのです。

能の謡や舞を習うというのには、年寄りの趣味というようなイメージがあり、なかなか健康と繋がらないかもしれません。ただ、そういうお稽古を長年していらっしゃるお年寄りにはとても健康な方が多く、姿勢を正して声を出し、無駄の無い動きをすることがいかに体のためにいいかを、身をもって示していてくださいます。

私も歳を重ねるにつれ、その効能を感じ、もっとたくさんの人に能で培われる力を知っていただきたいと思うようになりました。そこで思い切って、私が長年能を舞ってきた中で、そのために必要だと思う筋力を高めるために始めたトレーニングとストレッチ、それを「能エクササイズ」として独立させることにしたのです。

コロナ騒動で、密になってはいけないと、団体での稽古を自粛したため暫くお休みしていましたが、また始めることにしました。前ほど参加する方は多くありませんが、自分の体を知るためにも、改めてお薦めしたいと思います。

能に興味の無い方にも、仕舞や謡の稽古をしたいと思わない方にも、能の構え(姿勢)、すり足、重心の移動、腰の重要性、それらを体験していただくことによって、日常が何か変わり、体が力強くなっていくことを感じていただけるはずだと思うのですが・・・。

「能エクササイズ」にご興味のある方は、「声の道場Ⅲ~人間力を取り戻そう~」(令和元年10月発行)の中の「能エクササイズを始める」をお読みいただければ嬉しいです。

声の道場目次

この文章を書いている途中に、面白い新聞記事があることを教えていただきました。三度目の宇宙への任務に旅立たれた野口聡一さんの著書「オンリーワン」(2006年 新潮社)の中に書いてある内容からの文章です。野口さんは宇宙での船外活動をするのに「能の動きを参考にしている」ということなのです。

『・・・・・宇宙での船外活動はアートと語る野口聡一さんは、日本人的感性をもって、立ち向かう。参考にしたのは能の動きだという。宇宙服やヘルメットを能面になぞらえて、「限られた視野での空間認識、無駄を限界までそぎ落とした簡潔さ、一つ一つの動作に意味を与えて一糸乱れず動いていく様などが参考になった」。野口さんの著書「オンリーワン」に詳しい。これには、室町時代の能楽師・世阿弥も驚きだろう。体の中心感覚を太く持ち、細部に神経を注ぐ。自らの内的感覚に耳を澄ませ、内部と外部を一体化する能の技法。それが何百年も経て、宇宙空間で花開いた・・・・・』

 2020年 11月14日 四国新聞コラム「一日一言」より

私はこれを読んで、「すごい!」と野口さんの感性に驚くと同時に、とても納得がいきました。私が尊敬する先生方の能を拝見すると、舞台の上でしっかり重心が決まっていて、立ち姿は根が生えているように安定しているのに止まっているように見えない、また動かれるときにも重力を感じないのです。上半身が全くぶれず、本当に無駄な動きがありません。もしかしたらこの動きが無重力を体験なさった野口さんに、何かを感じさせたのではないかと思いました。重力がないところでは、よりしっかりした体幹や無駄の無い動きが必要とされるのかもしれない、そして能に必要な「腰という人間の中心から指先まで繋がる動き」は宇宙でも必要な感覚なのではないでしょうか。

最新科学の中で、650年前から能で培われてきた日本的な体の感覚が参考にされているということが、「日本の体を取り戻そう」というスタンスで「能エクササイズ」を始めた私には、とても嬉しいニュースでした。

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